今日は昨日の記事で書いた通り、弟と会ってきました!
何かあるかな?と思っていましたが、いつもより話が盛り上がったぐらいです!
あ!気持ちは今までになくフラット(ニュートラル)でした!
あまり何もない事が逆に気になって、朝から書いていた記事を保留してこの記事を書いています笑
思えば僕はいつの頃からか、弟にいつかとんでもない復讐をされると本気で思って生きていました。それほど兄である僕の一方的な暴力は酷いものでした。
30代になり酒を呑みながらその話をして、「俺はいつかお前に復讐されると思って生きてきた。」と話すと、「全然そんな事思ったこともないよ」と言われて拍子抜けした事を覚えています。
あれから何回か彼との会話や経験の中でスコトーマが外れました。その中で父親の代わりをしなければと思っていた僕が見る「弟」という視点は外れました。
ただ、今回「嫉妬」というテーマで見た時に、長男、兄という役割で「弟」を見ている僕がまだいる事に気付かされました。彼にかける言葉は、まだ兄としての僕が発するものでした。今回の気づきで、「兄」という役割をまだ演じている僕を発見しました。
そして、今回はその「兄」という役割の視点すら無くして弟に会ってきました!単純に1人の男として自由に生きてきた男に会ってきたという事ですかね。当然兄であり弟なのですが、、、
ふと気づいたのは、ずっと前から彼は僕を許していたという事。
「僕が僕を許していなかっただけ」だという事です。それが僕の中にある厳しさの原点の一つだという事です。
この視点に気づいた時に、弟との関係性だけでなく、父や母との関係性もなんだか楽になりました
ざっくり言えば、「なんだ、これでいいのか!」と、なんとなく後ろめたさが取れた感覚です!
「まといのば」本家主宰はこちらの記事でこう教えてくださいます!
引用開始
人をさばくな。自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。(マタイ7:1−6)
僕自身はこれこそが、メンターやコーチングの肝だと思っています。
このマインドセットで始めれば、クライアントの「目にあるちり」を取らせてくださいなどと言わないのです。スコトーマを外させてくださいなどと言わないのです。その前にまず自分の目にある巨大なスコトーマを外すことに専念します。なぜならコーチングをしながら、自分のスコトーマを外すことが、クライアントを変えることに気づくからです。結果的にクライアントのスコトーマを外すのです。
あまりにもドンピシャなイエス様のお言葉と本家主宰のお言葉に「はい!おっしゃる通りです」と頭を下げました🙇
引用開始
私も長女で父を早くに亡くしており、姉弟の心配をしながら生きてきました。その分、好きなように生きている(と思える)弟妹に、苛立ちを感じているところがあるなぁと。自分はよく「我慢しなさい。」と言われてきたけれど、本当はどう生きたいの自分にかちゃんと聞いてあげよう!と思いました。
引用終了
気づく事が大事!! 「まといのば」の様々な方の力を借りて369universe38さんも前に進んでいる事が嬉しいです![]()
面白いなと思うのが、こういう気づきが身体を変えていくという事!今回の事でまた身体が大きく変わっていくのを体感しています!
気になっていた場所が解除されていくのを感じます!!
この身体と共にまた次の移動を始めます!!
次はどんな経験が待っているのか楽しみです!!
そんな「場」の移動としてうってつけなのがヒーリングフェスですね!



