世の中には、「引き返し不能地点というものがある。
よく、「なんでこれほどまでに無謀な!」とか「常軌を逸した犯罪」というものがあるが、そのほとんどが最初から意図計画されたものではなく、状況の悪化で途中で引き返すことが不可能となった末の結果であることが多い。
先日、一冊の本を読んだ。
「シンプル・プラン」 スコット・スミス著 扶桑社ミステリー
面白い作品だ。きっかけは偶然発見した大金をネコババするというケチな出来心から、その犯罪を隠ぺいするために連続殺人に手を染めてしまうという話だ。
状況を立て直すために、さらに状況を悪化させてしまい、最後には収拾できないところまで追い込まれていく。
まさに、どこかの地点が、「折り返し不能地点」なのだが。
このような状況展開を描いた作品は多く、日本のもので有名なのは貴志祐介の「悪の経典」が思い浮かぶ。
この作品も秀作なので、ぜひお勧めしたい。
それにしても、この「折り返し不能地点」というものは、何も犯罪についてだけではない。
ギャンブルや薬物による人生の破滅、さらには会社の倒産劇まで、私たちの回りには多く存在する。
後で振り返れば、どうしてあの地点で引き返さなかったのだろうか、もしくは踏みとどまることはできなかったのだろうか、深い痛悔とともに思い起こされる瞬間である。
多くの人は、理性でわかっていても、その地点を通過してしまう。人間の性である。しかし多くの場合、もう引き返せないと判断した少し先の地点こそが、真の「引き返し不能地点」だったりするものだ。
これは国家の運営にも当てはまる。
「ジリ貧を恐れて、ドカ貧になる」とはよく言ったものだが、太平洋戦争にしても、本当の「折り返し不能地点」は満州事変でもなく、日中事変でもなく、国際連盟脱退でもなく、ハル・ノートでもなく、真珠湾攻撃だった。
その後の米ソ冷戦の歴史を見れば明白であろう。
これは私達の人生、仕事、すべてに大切な教訓だ。
正しく「折り返し不能地点」を見極め、進むか退くかを決定することだろう。(多くの場合は、退くことが正解なのだが、たまにルビコン川のように進むことが正解の時もある)
どんなに良きことを積み上げてきても、この判断ミスによってすべてが水泡に帰することがあるから、けっしてなめてはいけない。