経済のことを考えて、経済の話を書いているが、よくよく考えれば考えるほど、現在のデフレ圧力の最大の原因は「需要の不足」ということではないだろうか。

 この話は、私は何度となく書いていることだが、わかりやすく言えば、この世の中においては「欲しいモノ」「欲しいサービス」などあまりないのだ。

 生活は十分便利になっており、そこそこの娯楽もあふれている。だから金を使ってまで、何か欲しいとか、何かやりたいということはない。

 確かに、本当に求めるものはあるだろう。しかし、そんなものはとてつもなく高価、手が届かないので、結局はないに等しいというわけだ。


 よく地方都市へ視察に行き、地元の商店街を眺めると、ほとんどが寂びれていてシャッター通りなどと揶揄されることがある。

 最近、感じることだが新宿区や渋谷区という東京の中心でも、大久保通りや早稲田通りなど空きテナントが目に付く。

 あれだけ多くの人々が往来するような場所でも、店舗を借りて商売をするだけの価値がないということだ。利益が得られないということだ。

 よほど高付加価値で利益率の良い店舗でなければ、もはや成り立っていかないのだろう。

 これは起業する会社が減少してきているのと同じことだ。

 「何をやってももはや儲からない」という時代に突入しているのだ。

 資本があってもダメ、なぜならばそこに潜在的な需要が存在しないからだ。

 たとえニッチな市場が生まれても、すぐに多くの企業が新規参入してきて、過当競争、供給過剰に陥ってしまうだろう。

 資本集約的なやり方では無理があるのだ。

 

 そして低金利である。

 銀行がいくら低い金利でお金を貸してくれても、そもそも儲かるビジネスが少ないのだから、どうしようもないだろう。

 お金を必要としているのは、本当に旧態依然のダメダメなところで、そんな無意味な延命措置のために銀行は貸出をしない。

 個人についてもそうだ。やれ、住宅ローンの金利が安いから、減税措置があるからといって、将来にわたって値上がりがほとんど期待できない不動産やマンションなど、自己満足のために購入するのは余程のバカしかいない。


 しかしモノではなく、サービスならばどうだろうか。

 ゆっくりと旅行に出かけるとか、のんびり休日を趣味に過ごすとか。

 これならば、電気製品や自動車などのモノよりも、幾分か重要は存在するだろう。

 しかし、この需要を満たすはずの人々には「お金」がない。

 そしてサービスを購入するための「お金」がある人たちには時間がない、というパラドックスがあるのだ。


 つまり現代社会においては、「貧乏な人にはお金がなく」「金持ちには暇がない」のである。

 そりゃ、そうだ。

 プラプラしている連中には金があるはずないし、金を稼ぐ奴らは猛烈に働くから忙しく暇はない。

 よく「ライフワークバランス」なんてことが言われるが、そんなのは高級公務員の世界の話であり、ぼやぼやしていたら競争に負けて、ステージから転げ落ちるのが現状なのだ。


 健全な中流階級が消滅しつつあることが、厳然たる事実としてある以上、それを前提に考えなければいけない。


 それにしても、需要がない社会というのはつまらないものだ。

 何かやろうにしても、多くがリスクになってしまうのだから。


 やはり通貨の希薄化によって、モノそのものの価値を相対的に上げるしかないだろう。