今日、とある国会議員と昼食を共にした時に聞いた一言。


 「苦しい時に本気になって人に頼み込んだ経験のない者は、下の者を育てたり面倒をみたりすることができない」という言葉であった。

 これは裏を返せば、「下の者の面倒を見る気のない者は、苦しい時でも人に頼み込むことができない」ということでもある。


 何かを始めていまだ発展途上である時、大変な時、苦しい時に助けられた1は、その後に事が成就して成功した時の100にも勝るものである。だから恩を返すのも1ではなく、当然に100として返すものである。

 そこには1対1、100対100のギブアンドテイクの関係とは違った法則が働くのである。それは当事者同士だけでない。自分がかつて苦しい時に受けた1を、次の世代に対して多く返していく(与えていく)ことだってある。


 これが苦労知らずのおぼっちゃんには理解できない。この場合のおぼっちゃんというのは、単に金持ち、親の七光りというものだけでなく、たまたま運よくことが運んだ者、芸能人やタレントなどにも当てはまる。

 なんせ自分が苦労した時に他者に真剣に物事を頼み込んだ経験がないものだから、すべての人間関係の貸し借りを1対1、100対100の当たり前のギブアンドテイクでしか考えられないのだ。

 これは一見はとても合理的に思われるが、これでは下の者はついてこれない。当たり前の話だ。苦労知らずのおぼっちゃんと徒手空拳の苦労人では、1の価値、100の価値が、そもそもからして異なるのであるから。


 だからおぼっちゃんはおぼっちゃん同士で仲良くやっているのが一番良い。これもある種の人間関係としては悪くないが、こと政治の世界では困ったものである。

 薄っぺらいドライなおぼっちゃま関係では、政治の現実は切り開いていけない。なんせ真の戦いとは、いつでも乱戦であるのだから。