今回は、責任を放棄する、つまり自主的な選択をしないということについて考えてみたい。
自発的に何らかの選択をしようがしまいが、結果についての責任から逃れられないこともある。しかし自分が何らかの選択をすることを放棄して、相手に選択をさせることで、より大きなウエイトで相手方に責任を負わせるということもできる。
これは実際のところ、あまり良くないケースであるが、長い人生のうちには、このような局面に遭遇することしばしばある。
最初に自分自身のギリギリの立場を表明して、そこからの変更はいっさいないという断固たる決意のもと、相手方に何らかの選択や決定を迫る場合もある。これはまさに「瀬戸際戦略」と呼ばれるもので、あまり多用することができない、悪い一手ではある。
しかし、自分自身の状況に対する制御能力がきわめて低下している時や、現在ある判断のための情報が決定的に欠如している時などは、このような立場に身を置くことも求められる。
また、特定の相手が存在するような、ある種の選択以外でも、単に状況が進展していくのを放置するという意味での選択の放棄もある。この場合、結果についての実際的な責任は付いて回るが、少なくとも心理的な意味での責任は軽くなるだろう。
先がまったく見えない不安定な状況では、時間の経過に身を任せる方が良い場合もある。いつでも主体性を発揮すれば良いということもあるまい。
これをトレードを例にして考えてみよう。長い期間の持ち合いが続いて、罫線が上にいくのか下にいくのか見当がつかないような場合である。こんな時は、無理をして上か下かの判断をするのではなく、素直に放れた方に付いていくのがベストである。
どうしてもわからないことは考えても仕方がない。ここは時間の流れに身をまかせて、次なる波にきちんと乗っていく方が得策である。特に相場の動きなどというものは、個人の頑張りでいかんともしがたい訳であるから、なおさらそうすべきだ。