「過ちて改めざる、これを過ちという」 孔子「論語」


 人間は誰でも過ちを犯すものであるが、本当の意味での過ちとは、過ちを犯していることをわかっていながら改めないことである。


 税と社会保障をめぐる様々な議論、それから派生する年金問題、財政問題、医療制度問題など、それそれがいきずまっていることは明白である。確かにどこか誤りがあるのだ。

 国民も政治家も、その誤りを直視しようとしない。何とか当面、政策の微調整を繰り返し、現制度をつくろいながら現状維持でいきたいと思っている。

 しかし過ちは、過ちとして認めなければいけない。何が本質的な誤りだったのか?

 それは戦後長きにわたっての経済成長が20年前のバブル崩壊で終わっているのに、いまだにその路線を前提とした社会保障のシステム、そのための財政運営を変更することなく続けていったことに問題がある。これではいつかは破たんするのも当然である。

 この過ちを改めるには、2つしか道はない。1つの道は、これrからの低成長を前提に、国民も政治も、今までのように求めない、期待しない、夢を見ないというシビアな現実を冷静に受け入れる。もう1つの道は、現在のぬるま湯的な社会のあり方をリセットして、何とか新しいヴィジョンを模索していく。

 この2つの道しかないのなら、私は後者を選びたい。