昨日の私のブログを読んだ人から、「寄付金入学などとんでもない」という批判の意見をいただいた。基本的に知り合いにはブログに対する意見その他については、「コメント欄」に書き込むのではなく直接言うなり手紙なりで対応してくれとしているので、多分怒りに駆られて早速連絡したのであろう。

 

 ところで、私は「寄付金入学」は別に悪いことであるとは思わない。こんなことを書くと、「金持ちが金にものをいわせて馬鹿な子弟を一流大学に送り込むなんてフェア―でない」と批判する者もいると思うが、そもそも私立の大学なんだから、ある程度(この程度が難しい、あまり広げると本当に馬鹿ばかりのボンボン大学になってしまうので)は「アリ」ではないだろうか。

 そもそもハーバード大学、プリンストン大学、イエール大学といったアメリカのアイビーリーグと言われる一流大学は、すべてこの手の多額の寄付金による入学が公然と行われているのだ。さらには、おおまかな割合だが、三分の一は学業成績の優秀な秀才、三分の一はスポーツ選手、俳優、市民活動リーダーなど一芸に秀でた者、そして残りの三分の一は金持ちエスタブリッシュメントの子弟から新入生を採用すると言われている。これは取りも直さず、だいたいこの三分の一ずつの割合で、社会における成功者が存在しているとの思いからだ。


 しかし、これを読む人々の中には、どうしても釈然としない憤りを感じる方も多いと思う。気持は理解できるし、私とて、金持ちだけが特権的な思いをすることを喜びをもって賛成する気にはなれない。しかし、これが社会の現実であり、この現実を偏狭な倫理観やルサンチマンで固められた左翼的な正義感で曲げてしまうと、社会全体が不幸になるというものだ。


 「ビジネスクラス理論」というものを、ご存じだろうか?これは旅客機にビジネスクラスやファーストクラスが設定されていて、それに高額な料金を支払う人がいるから、エコノミークラスを利用する人が安価な空の旅を楽しめるという仕組みを示したものだ。

 金持ちが支払う高額な寄付金を利用して、貧しくても優秀な若者が高度な教育を受ける機会に恵まれるということである。この「ビジネスクラス理論」は、多くのことに当てはまる一つの真理だ。

 「フェアーだ、アンフェアーだ」と青臭い議論は止めにして、お金持ちの大切なお金を有意義に活用して、希望ある未来を築いていこうではないか。