21日がメリマンの重要変化日だとの、売り方の希望的な観測をあざやかに裏切るかのように、本日22日は多くの場で、季節はずれの踏み上げ祭りが展開されている。

 なぜ、祭りなのか?「わっしょい、わっしょい」と、神輿のように持ち上げられるからだろう。「下に~、下に~」の大名行列とは正反対の威勢の良い響きだ。

 しかし、投げがきわめて短期間のうちに苦痛を運ぶわりには、なぜかすとんとした諦念にも満ちた覚悟を伴うのに対して、踏みは真綿でじりじりと締め上げられるような、まさに際限のない無限地獄をもたらす。どこまでも先が見えない分だけ怖いのだろう。

 早く、踏め、踏め。踏み当たりってこともあるのだから。曲がり屋に固執していても、良いことないぜよ。

 投げ当たりが、助かったとはいえ何とも釈然としない未練がましさが残るのに対して、踏み当たりは、ほんとうに大きな安堵感をもたらすものだ。

 たとえ天井を扇買いすることになっても、そのくらいの覚悟でないと獲れない道もあるものだ。

 豆屋にそそのかされた、ちょうちん軍団の累々たる屍を越えて、天まで高く進めや。4667.



 と、ここまで書いてきて、ふっと思ったのだが、もしかすると一般の人々(たぶん大多数の国民)は「いったい何のことを書いているのか」とチンプンカンプンだろう。わかるやつが読めば「なるほど、フムフム(踏む踏む)と理解するのだろうが。

 ブログにプライベートな表現を持ち込むなとお叱りを受けそうであるが、それがいかなる意味においても表現活動ならば、たまにはプライベートな表現も許されるのではないだろうか。

 

 ところで、本当に久方ぶりに大江健三郎の「われらの時代」を読み返してみた。作品としては相変わらず面白いものだが、ここで提起されている問題意識のほとんどが、現在ではすでに決着がついたものとなっている。ちょうど資本主義と共産主義の歴史的な意味での決着がついてしまったように。

 「OK、ジミー、恥じることはない!」