幸運とは、ほんの少しの気持ち、考え方、日々の姿勢の積み重ねで決定されるものだ。朝、地下鉄早稲田駅でビラ配りをしていた。幸運のカードと呼ばれるもので、数十枚に一枚の割合で、今日一日の幸運を示す「星」「ハート」「花」などのシールをはりつけているものだ。だいたい一時間で150枚から200枚くらい配るのだが、その日は早稲田大学の入学試験のせいか、早稲田駅で下車する受験生で駅周辺は大変な混雑だった。私は駅入り口から少し距離を置いたところに看板を掲げて、ビラを配っていた。すると幾人かの受験生が試験会場となっている早稲田大学のキャンパスの位置を尋ねてくるのだった。早稲田大学の卒業生である私は、大学内の地理に詳しいので、若い受験生に聞かれれば丁寧に説明してあげた。なんせ、自分の後輩になるかもしれない若者なのだから。

 当然、道を教えた受験生には自分の政策カードも手渡した。だいたいは受け取ってくれるのだが、これから入試に臨むという連中には、なるべく幸運を与えたくて、わざわざ幸運のシールがついているものを摘出して、手渡ししてあげた。もしかしたら早稲田大学を第一志望にして、長く受験勉強の日々をすごしてきたのかもしれない、ぜひとも運を発揮して、めでたく合格してもらいたいと思うのが人情というものだ。


「はい、幸運のカード、いいことあるよ」とか「運に恵まれてきっと合格するよ」などの言葉もかけてあげた。少しの優しさだけれど、多くの受験生にとってはそれどころではない緊張した朝だったのだろう。

 女性2人、男性1人の受験生のグループにカードを渡そうとした。三人とも小奇麗な感じ、特に一人の女性はとても美人であった。「本キャンへの道はこっちで、だいたい5分くらいで着くから、はい、これ君が合格するように」とは私の言葉、「ありがとうございます、試験頑張ります」とは美人の彼女の言葉。「はい、君にも一枚」とは私の言葉、「うい~す、こんなのいらないす、関係ないす」とは一緒にいた顔に若干ヤンキーの入ったイケメンだが下品な男性の言葉。彼女2人は幸運のカードを受け取り、アホな男は受け取らなかった。ただ、それだけのことである。その後、彼らが試験の前に幸運を示すシールを確認したかどうかはわからない。しかし、もし幸運のシールに気が付いたら、少しは試験にあたってポジティブな精神状態になったのではないだろうか。

 ほんの少し前向き、ほんの少し明るい、この微量な差異の蓄積が実際の状況好転を生み出すものだ。素直な感情は多くのプラスの因子を引き寄せる、逆に先ほどの生意気なガキのようにひねた感情は多くのマイナスの因子を引き寄せてしまうものだ。ようは心の在り方が幸運を左右するのだ。ひねたガキは今朝だけでなく、多くの人生の局面で同様な下等な態度を続けることで、結局は自分の周りの世界をよりひねたものに染め上げてしまうものだ。これはまぎれもない事実だ.。多くの自己啓発の書物が、とにかく前向きに明るくという姿勢を強調するのは、ここに一つの真実が潜むからだ。

 幸運は宝くじを購入しても手にはいらない。素直な心、いじけてない心を大切にすることだろう。