今日3月11日は、東日本大震災のあった

日です。

 
8年前のあの日、私は仕事で銀座のショ
ップの経営コンサルのまっ最中でした。
また、妻は東京メトロ銀座線に乗って、
日本橋駅を発車したところで、最初の
揺れに遭い、電車はしばらく停車して
から、ゆっくりと次の銀座駅に着いて、
電車から降りた後、そのまま公共交通
機関は全面ストップとなりました。
 
子どもたちは学校での授業の最中で、
避難行動の際に校庭がひび割れて、そ
こから見る間に泥水があふれ出て来る
のを呆然として見ていたそうです。
 
銀座で足止めとなり、帰れなくなった妻は、
連絡のついたママ友に学校から子どもたち
の下校の代理引き受けを頼み、家に送り
届けてもらい、自分は都内で一夜を明かし
ました。
その当時に浦安の元町エリアで住んでいた
家では、しばしの断水と計画停電があった
ものの、ぶじにしのぐことが出来ました。
 
後日になって、子どもたちは学校の友達
が住む新町の戸建てエリアの堆積した
泥を掻き出すボランティアに参加もしまし
た。
 
息子は浦安市の次世代を担うリーダーの
育成を目指す「ふるさとうらやす立志塾
の塾生に選ばれ、仲間とともに研修を受
させていただきました。
 
 
 
震災で大きな被害を受けた石巻の、地
盤沈下や塩害の被害がひどい地区は、
まだまだ人が住めるようになるには長い
時が必要だということです。
南浜復興記念公園「こころの森」では、地
元の高齢者、被災者、サポーターの手で
植樹活動が行われ、森づくりが続けられて
います。
 
浦安市も市街地液状化による被害について
の問題は根強く残っています。
この日の経験は、私にとってかけがえのない
ものを再認識することになっています。
次世代に手渡したいのは、やすらぎを感じる
ホームタウンであり、希望の持てるホープフ
ルタウンでありたい。
安心安全のまちづくりとともに災害の後の
対応や復興についても、心を砕いていかな
ければならないことだと思っています。