独裁国家に囲まれた日本/中国から主権をどう守るか | ダイアローグ・ドキュメント

独裁国家に囲まれた日本/中国から主権をどう守るか


……最近いろいろと重要な事件がありすぎて、ブログを書くのが間に合わない…。



もはや、これは独立国ではない!


9月24日、ボナパルティズム・菅政権 は、まるで枝がぽっきりと折れるように、罪人・中国人船長を何の前提もなく釈放してしまった。

尖閣諸島付近の日本領海に侵入して違法操業し、こともあろうに、取締りの海上保安庁巡視船に体当たりしてきた無法者をだ。
恐るべき国家意識の欠如、とんでもない総理大臣を選んでしまったものだ。
それに対する中国の反応も予想通り。
さらに増長し、間髪を置かず「日本に謝罪と賠償を求める」という声明をぬけぬけと発表してきた。


この間、上海万博への学生交流事業の突然の中止から、レアアース(希土類)の「禁輸」まで、中国は矢継ぎ早に対日制裁措置を打ち出してきた。
石原都知事が「暴力団」と表現したように、押し込み、強盗とまったく同じ、まさにやりたい放題だ。
「戦後民主主義」(≒平和ボケ)という特殊な色眼鏡さえ外せば、今回の一連の出来事からは、「中国は戦争の口実を作り出そうとしている」と見るのが、外交上のごく常識的な見方だろう。


それどころか、中国は、経済制裁によってわが国の中核産業に致命的な打撃を与えようともした。
かつての日米戦の直接のきっかけは、アメリカからの対日石油禁輸措置だった。
そのことを思い返すと、すでに中国は実質的な対日宣戦布告をしていると言っても言い過ぎではないだろう。


近年の中国は、公表されているだけでも軍事費を飛躍的に増大させている。
その中には、自前の資金だけではなく、何兆円にものぼる日本からのODAや円借款も含まれているのだ。
そうした資金で(主に日本と台湾に向けた)核ミサイルを増強し、空母機動部隊まで創設しようとしている。

また、世界情勢を見渡せば、日本防衛の中核を担っている米軍は、イラクやアフガニスタンでの戦争に忙しく、他に手が回らない状況にある。
そのことは、「子飼い」の北朝鮮に暴れさせてみて、確認してある。
フセインのイラクには(※例の「大量破壊兵器」の証拠もなく)すぐに侵攻したが、核武装を自白している北朝鮮に対しては全くその気配がない。


要するに、大局的には、着々と増強してきた軍事力を、中国はそろそろ使いたくなってきているのだ。
尖閣諸島に絡めた言い掛かり、挑発行動は、そうした本心の暴露と見て差し支えない。


日本人として、今回の件に対応する上で、大事なポイントを改めて整理しておこう。



■ポイント①:中国は独裁国家である!


中国は名目上は「人民共和国」と名乗っているが、その内実は中国共産党による明確な独裁国家である。
民主主義国家のように国家の三権は分立しておらず、すべて支配者である共産党が独占している。
基本的人権など存在しない。
普通選挙による代議制もなければ、報道の自由も表現・集会の自由も存在しない。
当局に睨まれれば、いつでも誰でも弾圧され拘束される可能性がある。


鄧小平の登場以来経済の「改革開放」を進め、共産党の下での資本主義化を進めていて、それに乗じる形で日本初め多くの国の企業が進出している。とはいえ、その経済活動は、いつでも共産党の胸先三寸で妨害され破壊される可能性がある。
現に、90年代以降多くの企業で、政府に組織された不当なストライキが頻発している。
最近の広州ホンダでの「賃上げ要求」の長期ストライキは記憶に新しい。
そもそも、「労働者国家」であるはずの社会主義国に労働組合があり、それが企業資本と対立しているということ自体が変なのだが、現実にそれは起こっている。しかも、独裁国家なので、政府に承認されていないことが出来るわけがない。つまり、いかにも大衆が自発的に行っているように見えることでも、すべて共産党が承認し指揮している。

これは、今回問題になっている、尖閣諸島近辺での中国漁船の操業も、全く同じだ。
政府に歯向かったら、犯罪者として拘束されるか、さもなくば収容所に送られるのだから。


9月24日付朝日新聞朝刊に、次のような記事が掲載されている。
『意のまま批判者拘留 中国の「労働教養制度」 裁判抜きで強制労働』


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これによれば、信じられないことに、中国には今もって「労働教養制度」なる収容所送り制度が公然と存在し、最長4年間まで、裁判をせず政府(要するに共産党)の意向だけで、国民を自由に拘束して強制労働させることができるようになっている。
何と中国全土350箇所の収容所に16万人が収容されているらしい。


記事には、女性収容者の体験が載っているので、その過酷な状況を引用してみよう。


  (前略)トイレを使うのは午前が6時、10時、午後が2時、6時の1日4回。うち午前6時は大便は
   許されない。これ以外の時間の使用は許されず、大便を漏らしたこともあった。
   起床は朝6時。夜10時の消灯まで、1回15分の食事時間を除くと、残り時間のほとんどは労働
   作業だった。割り箸を袋に入れる単純作業で1日のノルマは1人1万個。納期が迫ると、深夜0時
   まで続いた。ノルマをこなせないと睡眠を削り、報酬はなかった。
   隊長の怒りに触れると、白壁の前に座り続ける罰を受けた。起床から就寝まで発言や身動きは
   許されず、食事もそのままの格好。別の収容者2人が両脇を囲み、見張った。……


文字通りの強制収容所だ。
およそこんなところで精神に異常をきたすことなく頑張れる人が、一体どれだけいるだろう。



■ポイント②:独裁国家の本質は、権力闘争による国民抑圧にある!


近代の独裁国家は、昔の封建社会における殿様や、君主制における王様の支配とは全く異なる。
何が違うかというと、自国民に多大な災厄をもたらし、周辺諸国に迷惑をかけ続けるという点だ。


近代の独裁国家は国家としての歴史を持たないので、その支配構造は常に不安定だ。だから、政権内部では凄まじい権力闘争が繰り広げられている。
政敵を罠にはめ、あらゆる権謀術数を用いて追い落とす。
そうした権力闘争の凄まじい様相は、これもいろいろな書物に描かれてきた。

例えば、産経新聞社が長年にわたる取材内容をまとめた『毛沢東秘録』や、最近出た『周恩来秘録』(※文春文庫)にも極めて詳しい報告がある。


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特に『周恩来秘録』の著者・高文謙は、中国共産党の研究所に勤務していた人物なので、詳細な一次資料に基づいて「NO.2」だった周恩来と毛沢東を中心とした長年にわたる権力闘争の様子を細かく記述している。


かつて(といってもつい30年ほど前まで)、中国には毛沢東という史上最悪の独裁者がいた。
毛沢東によって殺害された国民は、数えることすらできない程膨大な数にのぼる。
例えば、1950年代、毛沢東は自らの権力を維持するため「大躍進」運動という狂気的な政策を進めた。
偏狭な数値指標で地方組織や人民公社を管理した結果、農村は荒れ果て、餓死者は2000万人に達したと言われている。
この失政は誰の目にも明らかだったので、さすがの毛沢東も政治の実権を一時失うことになる。


その劣勢を巻き返すべく、周到な準備工作を経て毛沢東が始めた狂乱の運動こそ、かの悪名高き文化大革命だ。
その直接のターゲットは、当時政治の実権を握っていた劉少奇だったが、毛沢東は自分を中心にして支配構造を完全に転覆しようと試みる。
そのために取った手段が、有名な「司令部を砲撃せよ!」のスローガンの下、紅衛兵による政府の役人や有産階級、知識人への暴力的な粛清、排斥運動だった。
これによって、中国国内は10年近くにわたって大混乱に陥る。


この文化大革命が、中国に住む人々にとって如何に傍若無人で理不尽なものであったかは、昔読んだ『上海の長い夜―文革の嵐を耐え抜いた女性の物語』(鄭念著) という本に、実にリアルに記述されていた。
 ※残念なことに今は絶版になっているらしいが、アマゾンで中古なら購入できる。

著者は、当時上海在住の女性で、ロイヤルダッチシェル上海支配人の夫人だった人だ。
この女性は単に外国資本の関係者と結婚していたという理由だけで、文革がはじまるや頻繁に紅衛兵のつるし上げに遭うようになる。例の罪人の印である白い△マークを付けられ、大衆の面前で自己批判を迫られ小突き回される。挙句に当局によって逮捕されるに至る。しかし、厳しい取調べや拷問にも、強靭な意志で一貫して無罪主張を貫き通し、文革の終息と共に釈放され渡米するに至る。


このようにして文化大革命の犠牲になった人は、行方不明者も含めて1000万人以上に上ると言われている。
つまり、毛沢東という独裁者は、その権力闘争のために、優に3000万人以上の自国民を犠牲にしているわけだ。
あのナチス・ヒトラーのユダヤ人虐殺ですら600万人程度といわれている。
この毛沢東に匹敵する凶悪さを持った独裁者は、「収容所列島」を作りだしたソビエト・ロシアのスターリンくらい

しかいない。


この歴史的事実から、いかに近代の独裁国家が、まともな外交関係や対話の相手とはなりえないかが確認できる。

現代中国は、ここしばらく、見かけ上うまく経済成長を遂げているだけで、その本質において毛沢東当時と何も変わってはいないのだ。

現在も次期国家主席の椅子に向けて、胡錦涛派と全主席の江沢民派が、熾烈な権力闘争の真っ最中だといわれている。



■ポイント③:独裁国家との外交は、対話でなく力の均衡こそが基本である!


あの温家宝の独善的な物言いといい、中国外務省女性報道官の神経に触る口ぶりといい、独裁国家の支配階

級に隣国を尊重しようなどという気持ちは元々片鱗もない。

中国にはやりたい放題、アメリカには年がら年中ゴマすりでは、日本はいよいよ奴隷国家への道をひた走ることになってしまう。


今は、国家の独立をどう確保するかを第一に考えなければならない時だろう。
民主党のように「国民の生活が第一」等と言っているから、世界最大市場の中国に対しては何もいえなくなってしまう。これでは、単なる物乞い国家であり、本末転倒だ。
国家の独立があるから、文化伝統が維持され、経済が成り立ち国民が幸福になるのであって、その反対ではない。
自前の防衛力、日米安保解消後の安保体制、憲法9条の改正を真剣に検討することはもとより、核武装、周辺独裁国家の攻撃に対処しうる空母機動部隊等の専制攻撃能力についても考えなければ、独裁国家に囲まれた国際環境を乗り切るのは難しい。


人は「生き残るために」生きるのではない。


生命を超えた価値を実現するために生きるのでなければ、人生など無機質な時間の継続でしかないだろう。