こんにちは


のぞみです流れ星





私は、

学校の先生ですが、

学校の先生らしい授業はしていなく、

学校の先生らしくもない

(らしいは、世間一般のイメージという感じ)



昨日

授業中に


『私って平和ヤンキー先生だなー😂笑』


と思いました。


ヤンキーというのは、

型にはまっていない

自由な発想、

学校のそれと、私のそれが一致していないといった感じ😂笑

一致してないけど平和🕊✨



こんな感じなんだけど、

楽(らく)に楽しく学校の先生をやっています。


職員室の先生との関係も問題ないし

もちろん

保護者からのクレームもなし

生徒からのクレームもなし



割とのびのび先生をやっています。


本当は、

もっともーっと、のびのーびやりたいのかもしれません。

😅😂笑



さて

本題です。



理科の物理分野に


『仕事(J)=Nm』


という公式があります。

力の大きさ:N(ニュートン)
その移動距離:m(メートル)

をかけ合わせると
仕事をどれだけしたかわかるという公式です。


そして、
理科でいう仕事は、


道具を使おうが、

使わないで素手でやろうが
結果が同じであれば、
やった仕事は同じとする法則があります。



生活に例えると、


結果が同じであれば
どの手段、どの道を通ってきても
同じ仕事をしたとみなす
というような感じです。


ただ
ここからとても人間らしいな〜
という公式が付け加えられるのですが、

仕事は同じであっても
その時間は違うよね??
となるわけです。
人間らしい😅😂


なので、



『仕事率(W)=仕事÷時間(s)』


とその仕事を時間で割るのです。


素手と道具を使った時と、
どちらが効率が良いかという公式になるのです。


生活に例えると

同じ結果であれば
効率が良い方がいい

同じところに行き着くなら
早く到着するルートがいい


こうやって
効率を考えて

良い方をセレクトしたい
などと



何か大切なものを忘れているかもしれないことに、気がつかず生活しているかもしれないです


人間はいつから
時間にしばられているのでしょうか?


限られた時間に
◯達成したら出来る人でしょうか??
◯時間内に達成できないと出来ない人でしょうか??


例えば、


抜き打ちで

元素記号の小テストがあって

その場で、満点を取った人は、100点という評価になります。

ここで、全て不正解な人は0点という評価になります。


この0点の評価の人が、1週間後に元素記号を覚えてきて100点を取れるようになったとします。


道のりは違うけど


同じ100点が取れるようになったわけです。

この2人の元素記号を覚えた脳のエリアは同じはずです。

優劣はないはずです。


でも

どうでしょうか??


その場で100点取れた人

1週間後に100点取れるようになった人


本当に同じという感覚でいるでしょうか?


そして

評価は同じになるのでしょうか??



などと

公式を教えながら
みんなで考えた授業でした。