私は置かれた場所で咲きなさい派ではない。
自分の価値が最大化する場所に身を置きなさいって思っている。
とはいえ、思ってるとできてるは別の話。
自分はここにいるのが合わないって思っているのは、「ここではないどこかへ」症候群だったりしない?
まだ自分が今いる場所でできることあるんじゃない?
自分が気が付いてないだけで、自分の物の見方を変化したら実は違う事実が見えてくるんじゃない?
こう思って悶々としてしまうことがある。
自分のことを客観視したり、
改善点を見つけるのも悪くないと思う。
私は自分のことを辛めの評価をしがちだ。
客観視も改善点を探すのも悪くない行動だと思うけど、
果たしてそれは私を幸せにするための行動?
もう40も過ぎた妙齢なわけなので、
キラキラした軽やかさだけをアピールする、美意識高そう系の謎の女になりたいわけではない。
引き寄せで夢を叶える~なんて思ってない。
(だいたい、この引き寄せ~って言ってる人たちの願いはだいたいフェイクの願い)
なんなら、梅干しつけたり、ドクダミ茶作ったり、魔女みたいな、おばあちゃんみたいなことの方が得意だ。
キラキラしたいわけではない。
ただ、私は私の時間を命を満喫して生きていたいのだ。
生命力を爆発させているさまを見て、キラキラしているって言われたら、
それはありがとう。嬉しい♡でしかない。
そう、私の願いは
「生命力を爆発させて生きる」
なんだよ。
そこで考えた。
「ここではないどこかへ」っていう思考と、「置かれた場所で咲きなさい」って全然違いそうで、根っこは同じじゃない?
両方とも前提が、今の私はだめ。
場所を変えたらどうにかなる。
置かれた場所で最大限耐える。
そこに抜け落ちてるもの。
なんだかわかる?
私はどうしたいか、
私はどうありたいか、
が、思考の起点になっていないことだよ。
たぶん、置かれた場所で咲きなさい派は問題解決、ビジネス思考よりで、
ここではないどこかへって思うのはアート思考っぽいけど、スタートが自己否定だから、なんかちがう、ってなるのかな。
どっちの思考で悩んでいたとしても、
一回自分はどんな前提で世界を見ている、
考えているのかなって土台を見つめる時間持ってみるのもいいかもね。
こういうことを考える場を作っていきたいなぁ。