一生懸命頑張って、

こっちに行くのが正解だと考える方向へ努力し続けた。

時々、ほんとにこれでいいの?って疑問が湧いてきたら、

頭の中の私が一生懸命、こっちに行くべきです、って説得し始める。

心の声が、なんか違う気がするなぁってぼやいたとしても、

その声は気のせいじゃないか、疲れたときにみんな思うやつだよ、って無視する。

違和感を感じたとしても、こうするって決めたんだから!って

素直で頑張り屋さんの私は、思い込もうとしたこともある。

 

だけど、そんなことを繰り返していたら、気が付いたときには

もうなんだかすべてが無味乾燥に感じる。

自分が何を感じているのか

何をしたいのかもわからない。

ってなった。

まじ末期。

 

その時の私自身が感じていた自分の姿って

もう疲れたよ、パトラッシュ

 

 

 

燃えたよ・・・・

真っ白に・・・・

燃え尽きた・・・・

真っ白な灰に・・・・・

・・・・・

 

そう、ほぼ魂が抜けかけている。

 

 

こんな感じだった。

 

ほんとにしんどかった。

 

しんどいけど、しんどいことを手放すことも

これまでの自分の努力したことや、

そこにかけた時間や感情、

もろもろのエネルギーがすべて無になる。

むしろ、マイナスでしかなくなってしまう気がして、

すごく悲しかった。

私の努力も時間も何だったんだろう。

そして、過去の選択からなにから

全ての要素を拾っては、自分にダメだししてしまう。

 

 

本当はもっと努力できるんじゃない?

前までこれくらいなんでもなかったじゃん。

(素直な心の声:はいもう限界なので、動けません。頭の中のBGMはcoccoの焼け野が原です。)

 

これまで頑張ってたのがまったく意味なく思えて、

私のこの10年って何だったんだろう。

 

こんな感情のハリケーンの最中でも

いちお健全な知性は一部残っていたので、

あぁぁ、これがサンクコストってやつだ。

いま私がうだうだしているのは人生の損切をどうするかってことだ。って

冷静な私もちょっとは存在していた。

英語表記はsunk cost。既に投資した事業から撤退しても回収できないコストのことで、埋没費用ともいう。それまでに費やした労力やお金、時間などを惜しんで、それが今後の意思決定に影響を与えることを、サンクコスト効果と呼ぶ。

 

 

冷静にサンクコストってやつだって理解しても、

感情は追い付かない。

だっていきものだもの。

冷たい金属の定規のような正しさに

柔らかく生暖かい揺らぐ感情を合わせて無機化する必要はない。

 

ただ、自分が感じている感情を

このサンクコストの概念に照らし合わせたら、

理解するだけで楽になれることもあるのかも。