七転び八起き。どころのレベルではなく。1000回中一回くらいの割合でこうなります。






できると信じて、何千回も練習しました。これからもずーと練習していくつもりです。
ヨガはスポーツではありません。勝も負けもありません。戦いだとしたら、それは自分との戦いです。朝起きて毎日練習すること自体に意味があるのです。ポーズは、どうでもいいのです。


ただ座っている時もあります。それでも朝起きてヨガマットの上にいること自体に意味があるのです。
ポーズの難易度は、人によって変わってくるし、その日のコンディションによってあまり動けない日もあります。
どんな日でも呼吸を整えてヨガのマットの上にいることが一番大事。
 

まだ雪が降っているBuffalo、、日本は桜が綺麗に咲いてるようですね。

 

なんのこっちゃって話ですけど、結構アメリカでは聞かれます。アメリカは基本的にキリスト教徒が多い国です。ヨガ(ポーズ、瞑想)をすると、ヒンズー教に改宗させられてしまうのではないとか思う人が結構いるんです。キリスト教徒として他の宗教のものを取り入れるのはどうかと考えれる人が結構います。アラバマ州で、ヨガを小学校のカリキュラムに取り入れようとした学校が訴えられたことがありました。ヨガを取り入れることによって、生徒たちにがヒンズー教に改宗されてしまうのではないかと心配したPTAが裁判を起こしました。結果は学校側の敗訴。

 

ヒンズー教についてはまた後で話をしたいのですが。

 

ヨガとヒンズー教が切っても切れない関係なのは事実です。ヨガを生活に取り入れるために改宗しなければいけないか、と言うことはいっさいありません。これはインドのヒンズー教の方達も同じように言っています。

 

私は、ヨガを生活に取り入れる、取り入れからは個人の自由だと思っています。ヨガを勉強するために何年もインドで勉強する人もいれば、ジムでホットヨガを定期的に楽しむのもあり、体は動かさず瞑想だけするのもあり、時間のない人は、一週間に一度適度、10分から15分くらいの時間でヨガをするのもいいと思います。人それぞれが生活にあったように取り入れるものだと思っています。

 

宗教(どんな宗教でも)とヨガには似ているとこがあって、どちらも日々のPractice です。実際生活に取り入れて初めて役に立つのが、宗教とヨガです。仏教であっても、教えに全く理解していない、もしくはあっていない生活をしている人が、自分が仏教だと言うことに無理があるように、全くヨガをしない人が、自分がヨギだと言うことはありえません。

 

ちょっと話が逸れましたが、今日はこの辺で。次はヒンズー教とヨガがなぜ切っても切り離せない関係なのかを書きますね。

 

 

 

 

 

朝のヨガは大体こうなる。。。。

 

 

 

ペットがいるとこんな感じになる。これがなかなかいい感じの体重で結構気持ち良がかったりするので、毎回どのポーズの時にきてくれるかなぁと期待しながら練習中。

 

これは、Ashtanga yoga Primary Series。