3月16日、Kのすけの卒団式を研修センターで行った。Googleスプレッドシートにちまちま付けている自分年表をリファレンスすると、2018年4月に彼の従兄弟であるSすけと、うちの琥太郎と一緒に入団している。

 

前年の秋から3月にかけてまとまった退団と卒団があり、道場には閑古鳥が鳴いていた。僕はといえば2月に会所町のカーブで単独事故を起こすわ、インフルエンザには罹るわで。まあ散々な年だった。

 

半ば惰性で受けていた5月の六段審査はもちろん不合格。というか、前の日記憶がなくなるほど酒を飲んで審査どころじゃなかった。今思えば大金叩いて名古屋くんだりまで行って何やってんだよって話だけど。とにかくその時の俺はそういったフェーズに居た。

 

あの頃どんな練習をやっていたか。今となっては全然覚えていない。Kのすけをはじめ子供たちも何もできなかったし、俺もやる気がなかった。だから大方殆どの時間を遊びに費やしていたんだろう。

 

子供たちが来ることがイヤにならないように。という理由は、ある意味剣道と真剣に向き合うことができない自分が逃げるための口実だったのかも知れない。と、今となっては思う。

 

9月のある日、すき家で偶然先輩のNっち君と鉢合わせて娘のA美に声を掛けると、その場の反応とは裏腹に翌月から通い始めることになった。己の怠惰な日々は続いたが、多少の出入りはありながらも、何故か仲間は少しずつ増えていった。

 

それは年長者であるKのすけが本当に良い奴だからだと先生は思う。卒団式の帰りに後輩たちが君に抱き着いてたのを見たら一目瞭然だろう。俺は今日まで君に剣道を教えてきて、チームの他の誰かから君の悪口を聞いたことが一度もない。

 

様似の剣道を立て直したのは、Kのすけ、君なのかもしれない。

(立て直ってないだろとかいうデリカシーの無いツッコミは置いといて)

 

この先の道は楽しいことはもちろん時には避けようのない苦しいことだってあると思うけど、Kのすけらしくマイペースで歩んで行って欲しい。そしてこの町にいる内は、たまに顔を見せに来てください。みんなで待ってます。ありがとう。