『ノラや』 内田百閒 中央公論社
いなくなったノラ、悲しむ百閒がなぜか可笑しく、いとおしい。ほんとうにノラは、どこいっちゃったんだろうか。
町田康のカバー写真に惹かれて購入した。普段このようなエッセイ(?)はほとんど読まないけれど、久しぶりにじんとくるものがあった。じん、と涙があふれるのではなく、ノラやクルツ、百閒にたいしてとてもいとおしく思った。かわいい。百閒は愛ということばを使ってはいなかったけれど、ノラとクルツに対する愛を感じる。愛っていうとなんだか西洋的な感じがして、ちょっと違うかもしれない。
私の祖母と、愛猫チビとの関係にも、同じような愛を感じる。捨て猫だったせいか人に全然なつかず、小さい頃から兄弟がいなかったせいか手加減を知らないチビは、よく本気で人を噛む。そしてほかの猫に比べると明らかに馬鹿である。目が異様に鋭く、女の子なのに不細工だ。猫特有の愛嬌がない。喧嘩も弱い。祖母はチビに対して愚痴ばかりこぼすけれど、散歩に出かけると必ず付いてくることを愚痴のあとに付け加える。
猫をねこっ可愛がりしちゃう私は、こういう関係になってみたいと思った。