こんにちは!のぞみです
中学校の卒業式でした。
別れと出会いの春です。
私はというと、
4月から思いがけない学校(未知の学校)に勤務することになりました。
未知の学校ってなんやねん!という感じですが、本当に学校なんだけれども未知なんです。
未知との遭遇です
現実に到来した波に乗る
到来した現実に乗るというだけで、
相当な経験でした。
逃げるためのストーリーを、最もらしくそれらしく立派に作る私を発見。
→→→
もはや逃げているというより、総合的に考えている様に見え、真っ当な考えに思え、向上心もある前向きな様子に感じる、けど、完全に逃げている。
現実到来に沿うのに、小刻みに震えるほど怖がっていたり、吐き気がする自分がいる一方で、身体のどこかで満面の笑みに満ち溢れている自分も感じる。
・軸を見て世界を見ない実践練習。
・今、この足元にだけ集中する実践練習。
「出来ないから調整してもらおう」から、
「出来るように自分を調整しよう」の行動へ
自分の至らなさ、はりぼて具合を痛感。
脱はりぼてへ強制移行するっきゃない!
現実に乗るだけで、色々な勉強になったので、
現実に乗るだけで、もうお腹いっぱいになったのですが、
4月から、というより今から、
未知を道へ
なんだなーと思っているわけです。
未知すぎて正直不安ですが、もう目の前のことにだけ集中するっきゃない状態です。
待ったなしだし、余計なこと考えている時間もない。
要は、
課題が、どーんと来たわけです。
そんなんだったら、
あの時ちゃんとやっていれば、、
これから逃れられないのなら、
教えてくれてたらちゃんとやっていたのに、、
などなど
たらればを並べていたら、
ガイドから、
さらに驚愕のタイムラインの話をされて、
もうぶっ飛びすぎるし、そんな所までやるんだったら、今もう目の前のことちゃんとやるっきゃないと思ったのです。
(↑自我丸出し)
逃れられない
超えて行こう
そうだった
「超えたその先を見たい」
これ一本でやっているんだった。
言うのは簡単
やるのは、、、(重たい)
しかし、
やってみると意外とスムーズにできる
そんなことも経験しています。
案ずるより産むが易し
(いやー、でも実際の出産は、案じているほうが易しだったなぁーと、産むのめちゃ痛かったし、その後も母乳あげるの第一子の時なんか、タワシで擦られている感じがして1ヶ月は痛かったしなーと思ったり)
「4月から楽しみですね」「面白そうですね」
と言ってくださる方々
「大丈夫ですよ」「味わってこなかった経験をたくさんできますよ!」
と言ってくださる方々
1番ささったのは、
「4月から、全自動洗濯機に放り込まれた感じになるだろうけど、僕も今まで何回か放り込まれたよ」
でした。
そう!
やりますよ〜
自分ファイティーン