2024/05/12 13:58 日曜日 曇り

とてもいいお天気だった昨日に比べて、今日はどんより曇り空。でもその分、過ごし良い陽気ですね。


やっぱり仕事を再開してしまうと、なかなか読書に割ける時間がとれないので、記事更新も控えめになってしまいます。


本当は昨日電車で遠出したので、その道中にでも一冊読了したかったのですが、途中で席移動したり、周囲の音が気になったりして集中できずやめてしまいました。


対策として、耳栓を用意しようと思います。


さて、前置きが長くなりましたが、久しぶりに本を一冊読了しました。


読了したのはこちらです。

 

「居場所」についてミクロ的・マクロ的双方の論点から分析・検討されていた一冊でした。


特にこれから少子高齢化が進むにあたって、セーフティネットとしての「居場所」がどうあるべきかを知ることができました。


「誰かと一緒にいることが必ずしも居場所があるということにはならない」というのは重要なポイントですね。


以下は読書ノートに記載した本書の重要な命題です。


「居場所」とはそこにいる本人がそう認識することが必要、一人でいることがスティグマ(負のレッテル)になりうるために居場所を求める人がいる、自分の居場所に固執して周囲にそれを求めても問題は解決しない、自分を偽って周囲に過剰適応しても居場所を見つけることには繋がらない、といったポイントが記載されていました。


では「居場所」を作るにはどうしたらよいか。


筆者は複数の手法でそれを解説してくれました。


まずは、周囲との対立の中で発生するコンフリクトをぶつかり合うことで解消し、よりよい関係へと止揚していく「積極的解決法」。


一方、「一人の居場所」を守るためにマニュアル化を進め、仕事の属人性を排除する「消極的解決法」。


それぞれ向き不向きがあるので一概にどちらが優れていると決めることは難しいのですね。


上記は主に、問題となりがちな職場の人間関係の話でしたが、マクロ的な話が続きます。


一人でいることのスティグマを解消するために、携帯電話は有効な手段になりうる。つまり、携帯を見て人と(ネットワークで)繋がっているということは、一人でいることのスティグマを軽減できる可能性を秘めている、とのこと。


ややもすると社会学的には批判的に取り扱われがちな携帯電話・スマートフォンを、こうしてポジティブに捉える言説はあまり見かけないので新鮮でした。


その他には。居場所は人が生きていくための「いのちづな」であるということ、そして特定の居場所に「はまる」ことは他の居場所とのいのちづなが切れてしまう危険性が指摘されていました。


また、「おひとりさま」や「だめ連」といったアウトサイダーの知恵は、これからの時代に第三の居場所を見つけるのに役立つ可能性があるとのこと。


以上を踏まえ、自分の居場所を見極め、同時にその臨界点がどこにあるのか、その高さ・低さをあらかじめ想定しておくことが、これからの時代に求められることのようです。


このように、「居場所」と一口に言っても、さまざまな問題点と解決策があることが分かりました。とてもおもしろく読めた一冊でした。


ただ…。最後の、居場所の問題が社会の中でどう扱われてきたのかを歌の歌詞から読み解く章は、歌詞の羅列ばかりで少々間延びしていたと思います。


興味深い視点ではあるので、あれはあれで別個の本として扱うべき問題なんじゃないかなぁというのが正直な感想です。

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長文になってしまいましたが、この記事もここまでお読みいただきありがとうございました。