初めまして。のぞみと申します。

つい先日の4月8日に母の乳がんがわかりました。母は今月、父が緊急手術をし他界してバタバタしたりで11年放置した声帯ポリープが悪化した為今月手術なのですが、その際についでに診て貰った胸のしこりは乳がんでした。ステージはⅡaとの事。詳しい検査は来月5月の手術1ヶ月前にするらしいので現段階ではステージⅡaです。


SNSに母や私の病気の話を書くと、どんなに明るく書こうと一部の方から嫌がられてしまうようでフォローを外されてしまうので、フォロワーの数は気にはしていないけれど、やっぱり普段の私の発言やキャラを好んでフォローして下さっている方を暗い気持ちにしたくないのでこのたびブログを約10年振りに始めて見る事にしました。母の胸にしこりが見つかってから検索魔になっていて、ブログで検索をかけるとAmebaが必ずヒットしたのでこちらでお世話になります。


ちなみに初めましてなので私の持病についても…。私はADHDと複雑性PTSD(それに伴うパニック障害やうつ、睡眠障害、解離性同一性障害もあります)と線維筋痛症を持っています。ADHDは不注意型…脳内は多動気味(笑)


PTSDはフラッシュバックやうつ、パニック発作や解離性障害で昨年までは別人格(私の他に1人凶暴な24歳の女の人格がいます)に振り回されまくって大変でしたが、昨年秋辺りから出てこなくなった?らしく本来の私に戻ったとの事。


そして1番の悩みは…線維筋痛症(ステージⅢ)全身のあちこちが常に数箇所同時に痛むのですが、痛い手と手首で痛い足や肩を揉むとますます痛くなる手(と手首)に嫌気がさしています。痛み止めはトラマールを1日MAX300mgまで(以前はがん性疼痛のみに使われていましたが非麻薬性なので痛み止め効果は耐性がついた私にはもはや効果があまり出ず)少しの鎮痛効果が出るまで1時間は掛かります。それとノイロトロピン4単位2錠を1日2回、プレガバリンは150mgを1日3回…


正直、トラマール以外は痛み止めなのかい?というレベル。あまりの痛みに泣きながら床を殴っている日もあればただただぼんやり座ったり横になったりして過ごしている日々…精神科の主治医の診断書には「慢性的な希死念慮がある」と書かれちゃっています。去年の11月に自殺を図って家で23時間倒れて変ないびきをかいていたのですが私が前回心停止レベルの自殺からICUで復活してから「私が自殺を図っても救急車は呼ばないで欲しい」


と言った為、主人と母は変ないびきをかいて寝ている私が呼吸はしているからと放置をしてくれていたらしいのですが、その結果23時間床に倒れていた私のお尻(臀部)に褥瘡(いわゆる床擦れ)が出来て、その水泡が破れた時に普段から人間の皮膚や髪にあるレンサ球菌やブドウ球菌が入ってしまい褥瘡が「蜂窩織炎」に変化してしまい39~40℃の発熱を2週間放置していたらなんと肺炎に…緊急入院となってしまいました。


入院中は線維筋痛症の痛みを「アセリオ」という点滴で抑えて貰いつつ…だったのですがアセリオはアセトアミノフェン1000mgの点滴…線維筋痛症に稀にアセトアミノフェンが効く方がいるみたいですがアセトアミノフェン(カロナール等)は消炎鎮痛剤なので線維筋痛症のような「炎症のない痛み」「神経性疼痛」には効果が殆ど出ません。ただ、アセリオは血管に入れる為多少は効果があり、食事中にちょうどアセリオが効いて少し身体が楽でした。ちなみに私は結婚を機に退職をしたのですが元医療従事者です。


よく「看護師さん?」と訊かれ「違うよ」と言うと「えっ?じゃあお医者さん?」と訊かれますが病院には医師と看護師しかいないわけじゃない事は闘病ブロガーさんならお分かりの通り。私はダブルライセンス取得者なので臨床工学技士と臨床検査技師の2つの資格を持っていましたが


臨床工学技士としてちょろっと働いて結婚の前に「のぞみには働かないで家にいて欲しいなぁ」と夫から言われた為、専業主婦という名のニート生活を満喫しております。日常生活に支障はきたしていますが訪問看護等は受けていません。母と夫が家事をしてくれています…本当に申し訳ないですが。


たまたま肺炎で入院し退院してから線維筋痛症は軽快して、その為メンタルも落ち込まなくなっていたのですがつい最近再び悪化してしまい、またもや「朝起きた時から身体が痛くて滅入る」から始まるようになり、午後14時頃起きては絶望的な気持ちを味わってはいますが激痛でも命を落とす病気ではないのです…


とはいえ自殺率は高い病気です。痛みが2日~3日ならばまだ耐えられますが、毎日のように全身あちこちが痛い状態が数年になるとメンタルがもたない…。それで私も実際、自死を図っている位なので(ちなみに痛みに強い人として友人周りでは有名)正直、めちゃくちゃ痛いです。きっかけなく突然始まる方もいれば、手術や怪我がきっかけになる人もいて、私の場合は怪我がきっかけです。


膝を壊してしまい歩行困難になった時から…最初は膝が痛かった筈が、手首が痛くて杖が使えずなんで手首が痛いのかわからないまま大腿部が痛み始め、気付いたらあっという間にあちこちが同時に痛くて…でも相変わらず周りの理解はあまり得られず「○日に東京に泊まりで遊びに行こう」とか「さっきからずっと痛いばっかり言っているねぇ」と友達から言われたりもします。理解のある友達も勿論いますが…。


更に疼痛コントロールもあまり上手くいかなくなってきたので夫から先日セカンドオピニオンを考えた方が良いねと言われ、今より遠い病院へ行く予定です。そんな矢先、母の声帯ポリープの手術日が決定。と、いうのも声帯ポリープが大きな水膨れに囲まれてしまい気道が狭くなり過ぎていて手術をしなければ窒息死をする危険性があるというところまできていました。その際に別の科で針生検をしたらなんと乳がん…。


私のセカンドオピニオンどころじゃないよ!!というわけで母から先日「数ヶ月お手数お掛けしますね〜」と呑気そうに言われたところです。ちょっと拍子抜けというか、母らしいなと云うか…私は現在44歳なのですが、母は72歳。そんな母は昔は価値観が違い私が20歳そこらの頃は「乳がんにはなりたくない!乳がんでおっぱい取る位なら片腕をなくした方が良い!」とサバサバしたキャラに似合わない発言をしていました。


一方で、私はその頃も今も「乳がんってわかったら両乳取ってください!って言うなぁ私なら…」と言い続けています。ちなみに母はステージⅡaですが腫瘍が3.2cmあるので全摘だそう。しかも医師から「5月に検査をして結果がわかったら6月に手術ですが6月頭に手術にしましょうか?」と訊かれた時に「予定が詰まっているんで6月半ば以降にしてください」と言って医師を驚かせたそう。「だいたいの方は1ヶ月後の検査結果がわかり次第早く手術してください!」と言うらしいのですが…。


ちなみに私は昨年11月の肺炎での退院は半ば強引だったのでオーグメンチンというペニシリン系の抗生剤を2週間内服して治療になったのですが、それからずっとなんとなーく咳も痰も出ています…退院をお願いする時は土下座状態で、その際CTを見せられましたが炎症が酷い事は誰の目から見てもわかる…が…CT画像の一部を指差しされ


「ここ、心臓の裏だから胸部XPには写らないけれどね、ここががんに見えるんだ…もしくはがん化の可能性が高い…」と言われ「いやぁ怖いっすね」と笑いながら退院した私…実は右肩も痛いし咳もしているからかみぞおちも胸部も痛いのです…ただね、これ心因性の咳な気がしてならないんです。


母の胸にしこりがあると母から告白されたのは昨年秋。触った感じやたらデカいし「…多分乳がんだから病院へ行って欲しい」…と母へ告げたらあっさりかかりつけの病院へ行ってくれた迄は良かった。


「今あの病院ね、乳腺外来なくなっちゃったんだって〜!私忙しいのになんかがっかりしちゃった」と言いなんとそのデカさのまま今年の春(つい先日)まで放置していてステージⅡaは私もポカーンとしてしまった。リンパ節転移がなかったからなんだよね?


よく分からないけれど、喉の手術の方が思いの外大掛かりでますますポカーンとしている私。ただ、来月はMRIやらCTの検査がてんこ盛りらしいのでひょっとしたら骨転移位は見つかりそうな気はするんだけれど…取り越し苦労しがちな私、Ⅱaのままで全摘出来ることを祈るのみです。


喉の手術は3~4日で退院出来るけれど1週間は喋ってはいけないので(手術は家族が病院へ行かなければならないけれど)お見舞いに来ないでねと母に言われ、更には「喋っちゃいそうだから1週間入院してきまーす」と…。私は母が1週間入院中、夫のお弁当や朝食や夕飯の支度をしなければならないけれど線維筋痛症で泣きながらなんだろうな…でも母が乳がんの治療を終えるまでは頑張って無理をしてでも母と夫のサポートをしなければ!


頑張ります。ええ頑張ってやります!母の声帯ポリープと乳がんの治療が終わったらまた甘やかして貰うから覚えとけ〜!とはいえ悪性度の低い乳がんなので母は自営業を辞める事はせず働きながら治す宣言をしている…元気そう…いや私より元気…凄いや母さん。