試合結果 (柔術) 師範の全日本初優勝と涙の真相
月 川島町-18:00-20:00 空手
火 川島町-18:30-21:00 空手、柔術
水 川島町-18:30-21:00 空手
木 川島町-18:30-21:00 空手、柔術
金 坂戸市-18:00-20:00 空手
土 川島町-18:30-21:00 選手クラス
【本日のニュース】
5分間の真剣勝負は終わり…
レフリーはレフリーの仕事として、冷静に僕の手をしっかりと握って高々と挙げてくれました。
時間にすれば何秒だっただろうか?
この一瞬の為に努力して来ました。
全日本の舞台で優勝する事を目標にし、ひざのケガから復帰してコツコツとジム練習、道場練習、筋トレ、エディとのマンツー練習などを続けて来ました。
全てのこの一瞬の為です。
去年から試合復帰はしたものの、中々思う様な結果は得られませんでした。
そりゃそうです。
長年コツコツと努力している選手と、ケガから復帰して数ヶ月のものでは努力の期間も質も違います。
それでも練習して、考えて、道場では当然指導もして、自分なりに研究もして来ました。
YouTubeで勝手にメンターを作り、Instagramで参考になるテクニックも学び、TikTokも短時間で参加になりました。
一つのテクニックを試合で使うには反復練習が必要です。それをスパーリングで試して修正も必要です。更に試合本番で使うとなると、スピードやタイミングなど色んな要素が加わって来ます。
例えば、三角絞め→腕十字は僕の好きなコンビネーションの一つですが、この技はエディとのマンツーマンで何度も練習し、何度もダメ出しを受けて、何度もタップしてきました。
前の試合で成功し、少しだけ自信を待ちましたが、今回の試合ではひざが開き足首がクロスしてしまい、ホールドが浅くアドバン止まりになってしまいました。
練習の時からしっかりとポイントを捉えて意識しないと試合本番で使えない代表例になってしまいました。
その事に自分自身で気付けた点は今後の練習から活かせると思うので良かったかも知れません。
ダラダラとまとまらない文章になりましたが、レフリーに手を挙げられた時に耳の後ろがプルプルと震え、瞼が熱くなりました。
実は2月下旬に母親が他界しました。
母親と息子の関係は、僕が言うまでも無く、特別なモノがあります。
上手く言葉には出来ませんが、本当に特別なモノがあると感じています。
その中でも末っ子になると特別感がある様に感じています。
単純に甘えっ子とかそんなんじゃ無く、2人の関係性は何年経っても特別なモノがあると感じています。
働き者の母親でした。
入学式も卒業式も来た事はありません。
授業参観は小1の時に一度だけかな?
モンペでは無く放置主義?忙しいだけ?
それでも色んな場面でサポートしてくれました。
そんな母親に対して親孝行は出来たのか?
感謝の気持ちをしっかり伝えたのか?
親孝行らしい事は何も出来ていません。
その逆に心配は人一倍掛けて来ました。
昨年末、一人でお見舞いに行くと子供の様に小さくなってしまった身体がウソの様でした。
手を握り、道場を続けている事、家族が健康な事、4月の柔術大会で優勝して金メダルをプレゼントする事を約束しました。
母親は声を振り絞って『まゆみ(嫁)を大切にしなきゃダメだよ、あんな働き者は居ないよ』と言っていました。
サリーは元気で会社に就職し、不動産(貸家)を8棟持っている事を伝えると喜んでくれました。
エディは4月から高校に入って、身長も体重もオヤジを抜いたことと、プロの格闘技選手になったら最初にばあちゃんにサインを書きたいと言ったら喜んでいました。
あれから数ヶ月、先月の横浜国際大会で青帯初の優勝が出来ました。
本当はキレイに一本勝ちして、マットを何度も叩いて、自分で人差し指を天国の『母ちゃん』に向けて報告したかったんですが、気持ちで気力で掴んだ今回の優勝、自分のチカラでは無く、亡き母親のパワー(存在)が大きかったと感じています。
ジムの先生、先輩のアドバイス、仲間の応援、常に近くでサポートしてくれたエディの存在、それと何よりも現役母ちゃんの存在…
関わって頂いた全ての人達に感謝です。
『ありがとう』
シンプルですが、この言葉しか思いつきません。
試合終了→表彰式→撮影
あっと言う間の出来事でした。
これでも心は笑っています。