2回目受けてきたー。



瀕死。


今、瀕死。


一回目とおんなじ感じ。


レメディーとかアロマとか

バンバン使って

自分を労り中。




調子悪いと
色んなものを棄てたくなる。

抱えきれないって、なる。


調子いい時は
ま、いっかってなってる。

妥協。

妥協の日々を過ごしていたことに
気付く。


瀕死の状態で願うのは

温かい部屋と
温かく肌触りのいい毛布と
足をすっぽり包み込んでくれる
フワフワの可愛いスリッパ。


どこを見ても
ときめくものしか置かれていない部屋。


あぁ。

ハーブテントに入りたい。

寒い。

寒過ぎる。


身体の芯が凍ってるみたいな寒さ。


ハーブテント
自宅に置きたくて


夜のバイトきめたんだ。


早く50万貯めて
家にハーブテント置くんだ。

サロン創るんだ。


あぁ。

身体にまた負担かけるけど
サロン創るまで
一緒にお金貯めようね。


身体、
出来る限り
労るからね。

よろしくお願いします。


あぁ。
寒い。


ハーブテント入りたい。



決めることができないとき。



決めないことを決めてるのか。



決めかねてるのは


あっちか、こっちか。


こっちはどうなる?


あっちはどうなる?




結局どうしたいの?




その問いに即答できないことに

悶々しては、先延ばし。




迷うという選択肢も

いいんじゃない?



決めない選択肢もいんじゃない?



決めないというのも

それを決めたことなんじゃい?



結局なにかは

決めてるんじゃない?



悩むことも

迷うことも


いいんじゃない?



優柔不断とか

ブレブレとか


それをダメとしてるのは

誰なんだろ?



委ねるとか

時を待つとか

眺めるだけ、とか



それもいいんじゃない?



焦っててもいいし

悶々しててもいいし

イライラしてても

メソメソしてても


自分の中で

目一杯してて

いいんじゃないかな。



たぶん

よし!やるぞ!!



と、なるときは来ると思う。



気合いとか

意気込みとか

断言する、とか

宣言する、とか


そんな感じじゃないかもよ?



あぁ。

そうかも。


みたいな感じで

じわじわかもしれないし。



あんまり

気負わずに


あんまり

力まずに


今そこで

やってみっかな。


くらいの



今そこで

珈琲のむか。


くらいの感覚で

いいんじゃないかな?



そんな選択も

いい感じと、思うな。


コーヒー









苦手な人とは関わらず


好きな人とだけ関わるのは


自然のことと、思う。



でも

それが


苦手な人の批判になったり

好きな人との共依存になったり。



親しき中にも礼儀あり。



自分の意見を述べることと

自分の意見を押し付けることが

まるで違うように



苦手な人でも

好きな人でも



関わり方は

自分自身の誠意や敬意だったり

するのだと思う。



感情まかせに

言葉を放ち


修復できない関係となって

気付くこともある。



その時には

もう、遅いんだ。


どんなに謝っても

これから気を付けると懇願しても


放った前には、戻れない。



そこで何を気付いたか。

その出来事で何を後悔したか。

その後悔は
どんな痛みを伴っていたか。


あの時
あんなことさえ言わなければ。

あの時
あんなことさえしなければ。


悔やんでも、悔やんでも
そこには戻れない。


でも

それは大きな気付きなんだと思う。

後悔と痛みが
大きく、強いほど

きっと
これから関わる人たちと

一回り
柔らかさや
優しさや
思いやり、のような温かい

決して無理のない
コミュニケーションが
生まれていくんじゃないかな。


せっかく言葉を交わすなら
ほっとするような
筋肉が緩むような
言葉をかけたいと

自然思える経験だったんじゃないかな。


言葉で傷付けたり
傷付いた経験は

自分の隠してきた弱さと
向き合わせてくれるんだ。

弱いから攻撃してしまってて
弱いからがっかりしてしまって。


だからもっと強くなろう
ではなくて。

自分の弱さに気付けたからこそ
誰かの弱さを受け入れられる。

ただ、
そうなんだね。と。

引き出すでもなく
責めるでもなく

嘲笑うでもなく
罵倒でもなく

ただ、ただ、
そうなんだね。と。


そんな風に
少しずつ

そんな自分に
少しずつ

近づいていけるような気がしたんだ。


好きな人たちなら尚更。

大切にしたい関係を
続けたい気持ちがあるなら

やめて欲しいことも
思いの違いも話すからね。

丁寧に言葉を選び
丁寧に、誠意と敬意のうえに
伝えていこうと思えたんだ。


後悔と痛みの溝が
たとえ誰かとの間で埋まることは
叶わなかったとしても

今、関わる大好きな人たちと

これから関わる
大好きになる出会いに

きっと
優しく温かい言葉が交わると

そう思えたし

そうあれる
自分でいようと。

痛かったけど
痛い思いをさせてしまったけど

ありがとう。






全ての出来事に


ありがとう、と

思える事が出来たなら


たぶん


それは幸せといえるだろう。



許せない。


納得できない。



そんな思いを握りしめ

自分を正当化しようとしたり



相手をどうにか変えようと

あらゆる手段を持ち出したり



あの手この手で

周りの気を引こうとしたりと

している間は



たぶん、

不幸といえるんだ。


=====


起きてしまった出来事は

どうしようもない。



起きてしまった出来事に

後悔しても仕方がない。



散々、後悔すればいい。

見苦しくても、あがけばいい。


誰も気に止めてくれなくても

騒ぎ立てればいい。



目を背けられても

背を向けられても

拒絶されても

無視されても



声が枯れるまで

叫び続ければいい。



今さら何を、と言われても

もう遅い、と言われても



あの時

言いそびれたその言葉を

叫べばいい。



ごめんね、と。



あの時

あんなこと言って、ごめんね。


あんなことして、ごめんね。


素直になれなくて、ごめんなさい。



本当は嬉しかった。


本当は許したかった。


本当は受け入れたかった。



本当はあんな事言いたくなかった。


本当はそんなこと思ってなかった。




ただ、少し

寂しかったから

だだをこねただけだったんだ。


ただ、少し

困らせたかったんだ。


ただ、少し

ごめんね。って

言ってほしかったんだ。



悪かったね。

ごめんね。

気付いてあげれなくて。



そんなに寂しい思いさせたんだね。

そんなに悲しくさせたんだね。


ごめんね。って


言ってほしかったんだ。



責めたかったんじゃないんだ。


慰めてほしかっただけなんだ。


寂しかったという気持ちに

寄り添ってほしかった、


それだけだったんだ。



それなのに、怒るから。

それなのに、無視するから。

それなのに、拒絶するから。



寂しい、悲しい、が

悔しい、苦しい、になって

酷い、償え、になって


お前のせいだ。になったんだ。


お前が悪い。になったんだ。


=====


寂しかったよね。

悲しかったよね。

苦しかったよね。

悔しかったよね。


って。


置き去りになってた自分に

手を伸ばしてあげよう。



膝を抱えて泣いている自分を

抱き上げて

抱きしめてあげよう。



ごめんね。

寂しい思いさせて悪かったね。

気付いてあげれなくて、ごめんね。



もう、ひとりになんてしないよ。


ずっと一緒に居るからね。


そう言って

抱きしめてあげよう。


その子の笑顔が戻るまで。

その子が安心して眠りにつくまで。



そして

ずっと、傍にいてあげよう。



だって

それは

置き去りになってた

私、だから。



迎えにきてくれるのを

ずっと、ずっと、

待ってた

私、だから。



私と手を繋げたとき

人は誰かを許せるんだ。


置き去りの私を

迎えにいけたとき


人は自分を愛し

誰かを、世界を、愛せるんだ。


誰かが、世界が

何をしていても。


誰かが、世界が

どうあっても。


誰かが、世界が

何もしてくれなくても。



誰かに幸せにしてもらおうと

期待と絶望を繰り返すことが


幸せから遠ざけていたことなんだ、と

気付くんだ。



許せない。

納得できない。


それを握りしめていたチカラが

緩むんだ。



あぁ。

あんなことがあったけど

たぶん、幸せだったんだな。



あぁ。

あんなことになってしまったけど

たぶん、

だから、

気付けたんだな。



なんか。

ありがとう。


なんか。

本当にありがとう。



大切なものに

辿り着けたのかもしれない。



ありがとう。


出逢ってくれて、ありがとう。



たぶん、私は

ずっと、幸せでしかなかったのかも

しれないね。



=====


気付きは痛みを伴うけれど


置き去りになって

待ち続けていた自分との

再会だったのか。



まるで

陣痛から出産に至るまでのような

痛み。



たぶん、

こうして


自分というものを

知っていくのかもしれないね。



それが

生きる、という

旅や冒険なのかもしれない。



自分を知る物語。


自分を見つける物語。


そのための出来事。

昨夜の満月タイムに


メディカルチャクラリストの

高木君代さんの

チャクラプレ講座に

参加させていただきました。


君代さんは

16年もの間

チャクラの発信をされているそうで



それは


自分を幸せにしたい


紆余曲折を重ねながらも

その想いがあったからこそ

現在も続けられているのだと。


そんな印象を受け取りました。



チャクラというワードは
随分と若い頃に聞いてはいましたが

七色が美しいなぁ。。

という印象で

自分の中に
こんな美しいエネルギーセンサーが
きっと、あるのだろう。というような
認識で。


莫大な情報量が
私たちの身体には

受け取ることも
感じとることも
放出することも

それぞれあって

神経や筋肉や骨や内臓

全てに影響しているんだなぁ、と
思いました。


ちょうど私が

感覚的に
自分の中心とのズレが
ちょっと大きくなっていて

私は何を目的に
お金を求めるのか

何を目的に
人を求めるのか

軽いパニック症状になってて。


講座の終盤に
質問や感想をシェアする場面で


たまたま緑色の服を着ていた私に

尚美さん

緑色はハートチャクラなんですよニコニコ

選択する時かもしれませんねニコニコ


迷ったときは
より、恐いと感じる方を
お勧めしますよニコニコ


と、君代さんが
素敵な笑顔で話してました。


思い当たる事があったけど

まだ、言葉に出来ないなぁ。


しがみついているものと

しがみつかれているように
感じるものと


どちらも別々のものではなく
どちらも私の今の中身を表してくれてるようにも
感じていて。


どちらも失くなりそうで。


私って

どうだったら幸せなんだっけ。


講座から一夜明けた今


そんな感覚の中にいます。


たぶん、

やっとそこに触れたのかな?


自分から発信していた

自分が自分を幸せにするっていう

リアル感に

やっと触れたのかな。


文句ばっかり言ってた
出来事に

少し後悔のような

少し寂しいような

少し

じわじわと
ありがとうございました。と


そのような事が
湧いてきている。


それにしても
画面越しのキミさん

綺麗だったなぁ。


ブログとメルマガでしか
存じ上げて居なかったけど


自分の傷とか
絶望とか

どんな自分であっても
震えながらでも
表現して

それを
自分の愛と融合させてると

人は美しくなるんだなぁ。


と、

勝手に印象を受け取りました。


キミさん
お疲れさまでした❤️

ありがとうございました❤️