ある出来事が起きたとき


私たちは


咄嗟に


仮面をつける




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目の前の出来事に
対処すべく


自分の
得意技を発揮できる仮面を
瞬時に選ぶ


場合によっては

時間をかけて
仮面を選ぶ


さて。


いま、起きた
この状況に対して

どの仮面を選ぶべきか。


意識的だろうが
無意識だろうが


私たちは
その都度

あたかも自分であるかのような
仮面をつける。


怒っている仮面?

悲しそうな仮面?

嬉しそうな仮面?

なんにも問題ないよ、
という
成熟したような仮面?


なんにも理解できないよ、
という
困惑した仮面?


平和にいこうよ、
という
慈悲や慈愛に満ちた仮面?

いーよ、いーよ♪
という
歪んだ母性的印象の仮面?



本当の自分は?

本当の
本当の

本当の自分とは。


仮面を重ね過ぎて
見失ってはないか?



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ネットで

明らかに私と分かる内容で
書かれた記事を見た。

個人の投稿は
個人の自由。


その記事を書いた人とは
直接、想いを放ちあった人だった。


私は
そのことに関して
そこで完結した認識だったけど


その記事からは

私と語った想いとは
まるで違う印象をうけた。


それはそれで
いいのだけど

その人の想いを書いただけだから。


ただ


筋が通ってねぇだろ。
ってことで。


これもまた

私個人の
偏見でしかないけれど


対面で
あれだけ感情さらけ出して
納得した会話したんじゃ
なかったでしたっけ?


あなたが
あたかも
被害被ったような書き方
ヅラヅラ記してますけど?

恐くて
恐くて

早く
この一連の出来事を
ここで終わらせたい。



そんな印象の記事だった。





これもまた
私の偏見。



そんな感情になった
出来事だった。


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そこで
私が手にした仮面は
怒りだった。


でも
装着することはなかった。


私は
怒りの仮面を
コレクションスペースに戻し


どの仮面をも
選ぶことなく


ただ、感じる選択をした。


感じて
感じて
感じて
感じて


私と相手の生い立ちの違いを
想像したり

相手の放った感情に寄ってみたり

私の感情の疼きを
ただ、ただ
感じてみた。


数日
それを繰り返してみた。


何日経ってからだったか



その人を
拒否することも
受け入れることも

無意味なことだった、と
気付いた。


好きではない

嫌いになった。


単純に、これだった。


私は
その人が嫌いになったんだ。


そう。

嫌いになった。


ただ、それだけのことを
こねくり回していたんだ。


もう、会うこともない。

もう、会話をすることもない。


私の好みの人ではない。


驚いたのが

人を嫌うことは
私が未熟さ故のこと、と
思っていた自分が存在していたこと。


嫌いな人の中に
自分を探す、という
蔓延している唱えに

まんまと乗っかっていたこと。


いや。

嫌い、は
嫌い。


以上。


そんな単純な
人間らしい判断さえも
鈍感になっていた。


嫌いになったその人から
 

恩着せがましいLINEがきた。


ここで返信します。


感謝は強要するもんじゃない。


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人は

様々な仮面を
あらゆる場面で使い分ける
スペシャリスト



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それはそれで
楽しんで良いよね。


でもさ。

NO仮面である状態で
放つ想いは

爆発的な拡大となるよ。


誰に向けてじゃなく

世間に向けてじゃなく


自分に向けての拡大となる。