昔むかしの若い頃
私は
瞬間沸騰バリに
キレまくってた。
触れるもの皆殺しか?!
と
高校生の時に
学年指導の先生に言われたことが
あった。
そんなこと思って生きてなかったけど
そんな風に見えていたんだろうなぁ、と
今は思う。
不良扱いされていたけど
いつも思ってた。
なりたくてなったんじゃない。
その記憶が
この記事を書いた後に出てきた。
私は
不良になりたかったわけじゃない
私は
不倫の恋をしたかったわけじゃない
私は
抑え込んでしまった
私の感情を
解き放ちたかったんだ。
解き放ちたかったといっても
それは
今だから、その表現になるだけで
当時は
解き放ちたい!!
なんてことすら、思ってもないし
勝手に
そうなってしまってたんだ。
だからといって
私のしてきた
不良行為も
不貞行為も
言い訳するとか
弁解するとかの話ではなく
それをしたからこそ
今の私であるんだと。
それをしなきゃいけなかったし
それをすることしか
出来なかったし
それをすることで
私は救われてきたんだ。
そんなことを
しなきゃいけないくらい
当時の私は
生きる気力が失われていたのかも
しれないし
生きたいからこそ
それをしていたのかもしれない。
生きたいとしたなら
それは多分
私を!!
生きたかったんだろう。
私の人生を
生きたかったんだろう。
私による
私の人生を
生きたい❗と望んだのだろう。
とにかく
疑問だらけの子供だった。
なんで、そんなこと言うの?
なんで、それが大事なの?
なんで、言ってることとやってること
違うの?
なんで、そこで怒るの?
なんで、ここを誉めるの?
なんで、嘘つくの?
なんで、仲良いふりするの?
なんで、殴るの?
なんで、殴ったくせにあんたが泣くの?
なんで、素直に言えないの?
なんで、辛いのに離婚しないの?
なんで、私に八つ当たりするの?
なんで、子供生んだの?
なんで、私たちのこと邪魔みたいに言うの?
なんで、毎日辛そうな顔なの?
なんで?
なんで?
なんで?
そればっかり思ってたような。
なんで?って言うと
怒られてたような。
殴られてたような。
多分だけど。
小さかった私が思ってた疑問を
やらなければいけないくらい
生きる気力が失われていたのかも
しれないね。
お父さんも。
お母さんも。
おじいちゃんも。
おばあちゃんも。
多分だけど。
日本という国の集合意識で
世界とい存在の集合意識かも
しれないね。
なんで?
が、過剰になりすぎて
不良な行為や
不貞な行為や
残虐な行為が
溢れんばかりになってるのかも
しれないね。
もしも。
もしも
出来ることなら
隠さなければいけなかった
怒り
抑え込んでしまうほどの
哀しみ
吐き出すことが
許されなかった時代の
全ての無念を
今
ここに生きてる私たちで
光に変えて
愛で包み込みたい。
集合意識の全てを
愛で包み込みたい。
きっと
多分
誰もが愛でしかない。
それぞれが見ている世界の全てが
愛でしか、ない。
きっと
多分
それが
統合するという表現なんだ。