占星術に触れているのならば
多くの本を読んで
自分と照らしあわせたり
気になる誰かの星を視ては
一喜一憂することが、ある。
一喜一憂する意味は
理想と現実の違いと
星が記す言葉に
何か課されているかのように
受け取るからだろう。
その課題のようなものに
全く追いついていないと
感じてしまう自分に落胆するから。
他人から
どれだけ称賛されても
埋まらない穴のような空虚感が
ホロスコープの示す
月の存在なのかもしれないね。
充分に
あなたは出来ているじゃない?
そう言ってもらえても
そう受け取ることが
何故か、出来ない。
それが月の存在かな、と思う。
実在する月そのものが
光を放つことが出来ないように
月星座そのものは
自分ひとりで自分の価値をはかることは
不可能といえるのかもしれない。
太陽の光を反射させてはじめて
他者に存在を見付けてもらえる
月のように
他者という存在があってはじめて
自分の本質に気付かせてもらえる
私、があるのだろう。
それでも
月そのものには
引力という底知れぬ力がみなぎっていて
それでも
私、という生命には
人を惹き付ける何か、が
備わっていることを
本能が教えてくれている。
その本能を
思い出させてくれるのも
外の世界ありきで。
そこへの想いは
有難いという感謝だけなんだね。
ありがたいと
胸がつまるような
言葉に出来ない感覚になったとき
自分の星の対極のエネルギーに
意識を向けた時なんだよ。
太陽がみずがめ座なら、しし座の視点を。
月がかに座なら、やぎ座の視点を。
おとめ座なら、うお座を。
そんな風に
あらゆることを試してみてこそ
私、というホロスコープが
星のエネルギーが
現実世界に色味を帯びてくるのだと
私は思う。
迷って、
行き詰まって、
何もかも、全部!全部!!
投げ出したくなった時はさ
ホロスコープの対極を意識するんだ。
すべての星のエネルギーが
私には、在るのだから。
一喜一憂できている今が
何よりの
生きている証なのだから。
安心して
喜び、憂い
色彩豊かに生きていければ
私は、最高の人生だと思う。
私は、最高の人生だったと言って
死んでいく。
