感情が乱れることを

毛嫌いしていたけど


乱れるポイントは

色々な場面で起こるし


触れられたくないことに

触れられたとき


それが起こるのだと思う。



自分自身がそれを把握しているからこそ

そこを隠そうとする振る舞いを

するだろうし



前もって

そこには触れないでほしいと

注意書きをしながら

人と関わる方法をとる場合もあると思う。



でも、思ったんだ。



感情や心が乱れるところにしか

私の成長する機会は

ないのかもしれない。



私の身体が

日毎に成長と衰退をしているように


私の心や感情も

成長していくことが自然だと考えれば



自分の心の動きや

感情の波の特徴を

細かく観察することは


健康な肉体を維持したいという

本能と同じくらい大切で


心や感情の波に敏感だからこそ

肉体の機能を維持できるんだと思う。



心や感情の乱れを毛嫌いして

乱れないように

平常心を保つようにと


その動きに反することをしたり

その動きを隠そうとしたり


すればするほど

色々と悪化する経験が

たくさんあった。



私は結構

しつこい性質のところがあって


自分の心の動きや

感情の波を

そのまま吐き出したり

撒き散らしてきた事も多く


随分と迷惑行為をしてきたし

幼稚なコミュニケーションを

繰り返してきた自覚があって



それが

身近な人であればあるほど


本当は大切に関わりたい相手で

あればあるほどだったから


違うコミュニケーションを

ずっと模索しながら

勇気を出して試し続けてる最中で。



とにかく

感情をノートに書き続けているんだけど





これがなかなか

良いかんじに習慣になってきてる。



なんページにも

出てくる言葉を書き続けていると


あ。

っとなる瞬間に辿りついて。



その


あ。

の後に続く言葉が

本音だったりする。


そうすると

それを伝える自分の状況が整って


まっすぐに

どこまでも

鈍ることなく届く。


肉体と言葉の一致、みたいな。



届くのは

誰かにじゃなくて

自分にまっすぐに届く感覚。


あ。

見つけたぁ。みたいな


あ。

ここだったのかぁ。とか


あ。

ありがとぉぉぉう。とか



身体に心地良い振動が

毎回起こる。


ジュワジュワっと

炭酸水みたいになる。



それが気持ち良くて

はじめは殴り書きだった文字が

後からでも読み返せるくらいにまで

なってる。



すると、何が起きたかってさ



別の世界かなキョロキョロ??


って感じるくらい

見えるものが変化したんだよ。



それと


会話をしている相手の言葉や表情から

豊かさを感じるようになったんだよね。



なんていうか

とにかく

凄く幼稚だったから


放たれた言葉そのものだけしか

見えなかったし


その言葉に感情が紐付けられてたから

まったく自己中な受け取り方をして



勝手に傷ついて

勝手に悲しくなって

勝手に怒って

勝手に撒き散らして

勝手に疲弊していた。



そこに

すごーくゆとりが出来た感覚。

スペースが空いた感覚。


こんなに広かったんだぁ。と

感じるようになったのね。



そしたら

相手の言葉で過剰反応することが

なくなって

ちゃんと会話出来るようになってきた。



今まで過剰反応してきた言葉から

色々なことがわかって

色々な私が鮮明になった。


こんな風に

私は、私のことを決めつけていたんだ。


あの時の、あの言葉と

あの時の、あの表情と

あの時の、あの空気感に


ずっと悲しんで

ずっとそれを護ろうとしてたんだ。


そっかー。

そうだったのか。


その作業がいっぱいあった。


しつこく、しつこく

これからもやっていくと思う。



これって

他人とのコミュニケーションに

役立つのは間違いないんだけど


自分とのコミュニケーションなんだね。


自分との会話。

自分との交流。


そこが雑だから、他人も雑になる。

自分に雑だから、他人から雑に扱われたと

幻覚が起こる。


その幻覚、幻想を事実、現実としてしまって

他人を変えようと、おかしな行動が起こる。



自分を大切に扱う。


自分の心を

自分の感情を

自分の感覚を


自分を細かく観察する。


自分を丁寧に育ててあげる。


もう

しつこい。


ほんとしつこいけど


びっくりするほど

関係性は深みを増してくるし


生きてて良かったと思える。


他人と関わる嬉しさが体験できる。


私、最高。

と炭酸水になれる。


ほんと、最高照れ