占いが大好きで
占いでお金をもらって
占いで色んな人と出会った。
もともと色々感じることを
占いを通して
感じるものが
感情とはまた違うものなんだなぁ、と
確認してきたようにも思う。
でも
生年月日や
生まれた場所や
生まれた時間で出る
星の配置や
性質といったものだけでは
生きていないのが
人間なんだなぁ、と思った。
生年月日や
生まれた場所や
生まれた時間さえも
選んできたとなれば
いやいやいや。
ともなるし
いつ
どこに
どんな時代に生まれたとしても
死に向かっていることだけは
真実だ。
魂は永遠で
魂は死ななくて
何度も生まれ変わるのか
何度でも
生きながらにリニューアルするのか
それは
誰にもわからない。
誰にもわからないことを経験して
ひとりのオリジナルな生き方を通して
死んで逝くことが
私たちの壮大な遊びなのかもしれない。
壮大な遊び場が地球なのかもしれない。
壮大な遊び場に招き入れたのが
関わってきた人たちなのかもしれない。
生きることが辛くなったり
生きることが面倒になったり
生きてる意味を模索しだしたり
そんな吐き気をもよおすことから
逃れるように
占いを貪る場合もある。
何もしなくても価値があるのよ、と
本当に何もしないでいるこを
幸せと思い込ませて
感情をなかったことにする場合もある。
これでもか、という程の
言い訳と
理由付けと
ごもっとらしい語彙を並べて
暴れだしそうな気持ちを
押さえつけて
ぐちゃぐちゃに
どろどろにし続ける場合もある。
これでいいんだ。
このまま穏便に
このまま沈黙して
このまま気丈に
このまま笑顔で
これがいいんだ。
このまま変わらずに。
このまま維持して。
このまま死ぬまで手放すものか
と、握り締めることに
必死になる場合もある。
どんな場合も
自分への無責任でしかない。
自分放棄。
自分放置。
自分自虐。
自分放棄しているから
他人に放棄されたように思うことがあり
自分放置しているから
他人に構って欲しくて駄々をこねる。
自分自虐しているから
他人にいいように使われていると感じ
他人の犠牲に自ら立候補するかのような
振舞いをする。
それでも待つ、とか
それでも追いかける、とか
それでも、
どこまでも、
言いなりになってる自分に
酔いしれる。
それを愛だとする。
あなたのため、を
愛だとする。
自分を置き去りに
ペラっペラの現象に
全力を注ぎ
酔いしれる。
それくらい
生きていることは退屈なのかも
しれない。
それくらい
ありのままで
オリジナルで生きることは
恥ずかしいことで
バカと罵られることで
指差されることで
総じて
駄目なことだとされてきた歴史が
あるのかもしれない。
ありのまんまじゃ駄目なんだ。
他人に必要とされるような
他人に認められるような
他人が喜ぶような
そんな人間にならないと
生きていけないんだ。
じゃあ
本当は違うけど
そんな自分のふりして生きよう。
と。
だから
いつも
暴れだしそうなヤツがいる。
てめぇ。
ふざけんな。
私を放置しながら
私意外の他人をよろこばせてんじゃねぇ。
私を無いものとしたな。
その報いを与えてやる。
お前が私を葬ったように
お前が媚びへつらう他人に
お前が破棄される現象を
何度でも味わわせる。
と。
鍵をかけられて
閉じ込められたソレは
何度もドアを叩いていた。
ねぇ、
ねぇ、
居るんでしょ?
開けてよ。
何度も、何度も、
ドアを叩いていたはずなんだ。
何度も、何度も、
聞こえないふりするから
ソレは化け物になったんだ。
悲しみという餌で肥大したんだ。
怒ることしか出来なくなったんだ。
暴れてるだ。
苦しみながら。
きっと
鍵を開けたら
堪らなく可愛いんだ。
きっと
わんわん泣くんだ。
その時やっと
重ねあって
溶け合って
この世界を
壮大に遊んでやろうと
思えるんだ。
葬った自分を思い出すことに
占いは大きな助っ人になる。
占いは使い方、というのも
そうかもしれないね。
とも思うし
星の通りに生きている、というのも
そうかもしれないね。
とも思う。
それでも
占いを飛び越えてこその
オリジナルな自分で生きることも
ある。
それから占いに出会ったときに
やっぱり星の通りに生きてるなぁ。
そう思うことも、ある。
閉じ込めてしまった自分と
溶け合った自分とでは
世界はまるで変わるんだと思う。
閉じ込めたまま遊ぶことは
エキサイティングで面白いんだけど。
溶け合った自分で遊ぶことは
もっとエキサイティングかもしれない。
占いは
他人にしてもらう楽しさもあるんだけど
自分で自分を占うゾクゾク感も
あるんだよ。
生きてることって
たまに面白くて
たまに死にたくなるんだけど
暇すぎて色々やってしまうよね。
退屈だよ。
ほんと。