Facebookのグループでね

投資や情熱についてのお話を聞く機会に

恵まれまして。



凄くはしょって書くと



幸せの定義は

勝手に上がっていくのが人間だから

そうすると

永遠に幸せと感じれることはなくて

永遠にお金が増えることはない、と。



自分の幸せの定義に楔を打てば

その定義以上のものは

とてつもない幸福となるわけで

お金が増えるのは当然だ、と。



自分の情熱で

人と関わっていれば

勝手に人の役にたち

人はお金を払いたくなる、と。



それが貢献となるから

お金を受けとる罪悪感に変化が起こる。



貢献=無償の概念はなくなるよね、と。



お金がなくて

貧乏なんだけど

家族が毎日笑って暮らしている人は

実は居ない、と。


なぜなら



そういう人たちは

お金が集まってくるから



お金があって

家族が毎日笑って暮らしている

一般的に言われる

お金持ちになっているから、と。



足るを知る、という言葉がある通り


自分の幸せの定義が低いほど

たくさんの幸せがあり

たくさんのお金が寄ってくる、と。




あれ。

はしょるつもりが

結構書いてしまったけど。




私はどうだろう???と

考えてみた。



まずね、感じたのが



私って

何色にでも変化できる能力凄いな。と

思ったこと。



今回みたいなお話きくと


自分が安心して眠れる

場所とベッドとお布団があるだけで

超絶、幸せなの。



それは、既に叶っていて

今回の定義でいうと

毎日が幸せなの。



食事も

美味しければ


数百円の定食でも

数万円のコースでも

納豆でも幸せなの。



でも


欲が出るの。



だから楔を打つことが、、という

お話だったんだけど



なんていうの。


お金が足りない、足りないっていうなら


満足しない、満足できないっていうなら


という話だったと思うんだけど



幸せの定義が低いと

それ以上のものは全てが幸せで

その幸せで毎日生きていたなら


人は自然に寄ってくるものだよ、と。


人が寄ってくるということは

定義以上のお金だったり

美味しいものだったり

自分にとって豊かな連鎖が起こるような

人を紹介されたり



などなど



様々な助けが入り

更なる幸せが増えて

必然的に豊かになる



と、私は解釈しまして。



ここまで書いて気付いたけど



当初は


今回のようなお話を聞くと

私は実は定義が低かったなぁ、と思うけど



欲を叶え続ける、みたいなお話を聞くと

私は実は欲深くて欲がつきないなぁ、と思うから



何色にでも影響されやすい、という特性を

書こうとしてたのね。



でも、気付いた。



どんな表現の発信者でも


根本には愛がある。



節約なんて言ってない。



自分をしっかり定義してる。



既に楔を打っている。



打った楔を

定期的にメンテナンスしてる。



私は

楔を打ってない。



その時その時で影響うけて

打ったつもりになってるけど

打ち込み浅くて

気付くと抜け落ちてる。



そんな印象と気付きがあった。



なるほどぉぉぉ。

楔を打つかぁ。。



色々書き出してやってみよう。