およげたいやきくん における「ぼくら」とは? | 日々思うことをつらつらと

日々思うことをつらつらと

日々思うことを、思うままにつらつらと書きます。

まいにちまいにちぼくははてっぱんの~、

うえでやかれていやになっちゃうよ~

あるあさ、ぼくは、みせのおじさんと、

ケンカして、うみににげこんだのさ~

 


何気なく口にすることがあるこの泳げたいやきくんの歌詞。

ある日、ふと疑問に思った。

 

まいにちてっぱんで焼かれているたい焼きと、

海に逃げ込んだたい焼きとは、恐らく別の個体だろう。

ということは、この歌を歌っているのは海に逃げ込んだたいやきくんの目線で

描かれているが、毎日てっぱんの上で焼かれてきたことを自覚しているのか?

 

いや違う。

毎日毎日焼かれるのはある一つのたい焼きが繰り返し焼かれるわけではなく、

日々異なる個体がてっぱんで焼かれている。

でも「嫌になる」という共通の感情がそこには存在する。

 

あー、この歌詞は個々という存在を乗り越えて、暗に共通の感情や概念が存在することを歌っていたのか。

 

おー、下門真人さん。あなたはなんて深い曲をお創りになられたのでしょう!