第13回小江戸大江戸200k(200kの部):後編 | 目指せナイスミドル!

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10月のオクムを走ります!

小江戸大江戸200kの備忘録後編です。

 

21時15分頃川越を出発し、酷道254号を約30km都内へ向けて走る、大江戸で最も過酷とされる区間に突入。

脚はだいぶ疲れがきていましたが、ゆっくりなら何とか走れる程度だったので、疲れた場合は歩きも入れつつ、少しずつ前へ進むことに。

 

程なくして大江戸ランナーさんに抜かれるようになりますが、「ナイスラン!」とか「頑張りましょう!」とか、大江戸ランナーさんに声をかけてもらえると凄く嬉しい気持ちになり、大江戸ランナーさんが来る頃は特に頑張って走っていた気がします。

それに、この頃から少し眠くなってきたので、「私に声かけて~」と思いながら走っていました。

もちろん、声をかけていただいた方にはちゃんと返事はしています。

 

そして、この頃見舞われたちょっとしたトラブルが、股ズレです。要は、履いていたボクサータイプの下着が合わず股ズレしてしまい、走るとヒリヒリと痛みが。。ワセリンはしっかり塗っていたのですが効果がなく、仕方なくコンビニで新しい下着を購入したものの、疲れていたのか、間違って同じようなボクサータイプを購入してしまい、当然痛くて走りにくく(苦笑)、30分後に別のコンビニで今度はトランクスタイプを購入し着替えて、やっと落ち着きました。

この着替えやら何やらで15分くらいはロスしてしまったと思います。本当にもったいなかったです。

 

この頃から、信号待ちでは脚のストレッチのために屈伸をするようにしていましたが、曲げ伸ばしする際に左膝の後ろが少し痛んでくるようになりました。でもそれほどの痛みではなかったので、問題はないだろうとあまり気にはしていませんでした。

 

それよりもこの区間は、酷い眠気に襲われ、ちょっと苦労していました。特に、新座から成増までのあたり、どなたかと並走したりしたのは覚えていますが、かなり記憶があいまいで、且つ断片的です。最初にメガシャキを飲んで一瞬はスッキリしたような気はしましたが、あまり効果はなく、結局歩きながら寝ていたように思います。

 

そんな時、あちこちに出ている私設エイドには本当に助けられました。補給というより、少しお話しさせてもらうことで眠気も冷め、本当に有難かったです。あとから考えたら、深夜にエイドを出して、寒い中数分に1度しか通らないランナーを待っている・・こんなに有難いことはないですよね。TWの代表の太田さんもおっしゃっていましたが、「私設エイドの存在がランナーの完走率を上げている」、これは事実だと改めて思いました。

 

 

こうして、長きに渡る川越街道をクリアし、山手通りへ。眠いなあと思いながら熊野町交差点に差し掛かると、目の前にまた私設エイドが。少し寄らせてもらおうかなとヨタヨタと歩み寄ると、「かずさん、待ってましたよ!」と私を呼ぶ声にびっくり!そこにいたのはいつも小江戸大江戸でご一緒しているぴーぽさんでした。もう、とても弱っていたので最高に嬉しかったです。(なんか、数日後にブログ書いている今でも、当時のこと思い出したらちょっと泣きそう。)

ぴーぽさんと暫くトークさせてもらいましたが、あまり長居しすぎるわけにもいかず、5分ほど滞在したところで感謝の思いを伝えガッチリ握手してお別れ。

でもおかげさまで、ここを境に眠気は一気に冷めました。

 

成願寺エイドは朝4時ちょうどに到着。昨年から14分の遅れだったため、流石に昨年の記録を上回るのは厳しいだろうと悟りましたが、完走できればタイムはどうでもいいか、と気持ちを切り替えることに。

ここでは名物のカレーでしっかり補給。ここのカレーは本当に最高です!食べると気力・体力が満たされていくのを実感できます。

ここではカレーをおかわりしてエネルギーチャージもバッチリで、いよいよ私の得意な写真撮影エリアに。

エイドを出るところでにゃんランさんと会いましたが、このときはにゃんランさんからこのまま逃げ切るつもりで自信満々で、「悪いけど、もう追いつかせないよ」なんて心の中では思っていました。

 

その先は写真撮影を順調にこなしていきましたが・・ 信号待ちが多いエリアなので、信号待ちで屈伸を入れると、脚を伸ばしたところで左膝の後ろにかなりの痛みが・・ この辺りで、左脚はかなり悪化していることを悟り、とにかく無理はせず少しずつ前に進むことに。

 

ただ、先へ進むごとに痛みが強くなり、東京タワーに差し掛かったあたりで、いよいよ走るのが厳しくなってきました。特に信号待ちのスタートは脚が硬直していて、足を動かすのがかなり難儀な状況でした。

 

ちょうどその頃、とあるランナーさんから声をかけられました。こちらの方は、栃木から参戦してきたKさん。今回が小江戸大江戸初挑戦とのことで、都内の土地勘がなく困っているところ、私がルートを先導しとても喜んでいただけました。

ただKさんも足首を痛めており、やはり満足に走れない状況。お互いに、脚は痛いけど何とかだましだまし行きましょう、と声をかけ合いながら、徒歩を中心に、時折走って先に進みました。

 

↓こちらはちょうど夜明けに差し掛かった東京駅。

 

 

そのまま二人であれこれとお話をしつつ、浅草橋エイドまで走ったり歩いたりを繰り返していましたが、日本橋を過ぎたあたりで、とうとう痛みで走ることが難しくなり、浅草橋エイドまでの約2kmを歩きとおすことに。

浅草橋エイドに着いた際は、エイドで休めば回復するだろうと思っていましたが、残念ながらその逆で、長めに休んだことで左脚が棒のように固まってしまい動かせない状況に。脚を引きずりながらようやく歩いている感じで、ここまで一緒だったKさんには先に行ってもらうことに。(そのあと調べたら、残念ながらKさんもその先でリタイアされたようでした。)

 

この先は、半分くらい歩いてもまだ間に合う時間だとは分かっていましたが、さすがに満足に歩けない状況では完走は厳しいと悟り、早々にリタイアするか、それとも行けるだけ先を目指すのか、少し考えていましたが、ちょうどにゃんランさんに会ったことで何となく吹っ切れて、リタイアすることを決断。

こうして私の5回目の小江戸大江戸200kは終了となりました。

 

 

こうして一通り記事を書いてみると・・ 改めて悔しさがこみあげてきます。ある人が、小江戸大江戸に完走できなかった際、「その後1年間は東京タワーとかスカイツリーとか見るのも辛かった」と言ってましたが、その気持ちが良く分かる気がします。

まあ、私の職場は東京タワーのすぐ近くなので、どうやっても東京タワーはほぼ毎日見ることになり、すぐに慣れるとは思いますが(笑)

 

さて、前の記事にも書いた通りですが、今回の反省をしっかり生かし、来年も出場して必ずリベンジします。

そのためにまずは、脚を治さないといけませんね。レース終了後約10日が経ちましたが、左脚はまだ痛いです。日常生活を送ることにほぼ差し障りはないですが、走れるようになるにはまだ時間がかかりそうです。でも私は、矢倉沢往還とか川の道とか、この後無茶な予定を組んでいませんので(笑)、のんびり休養しながら回復に努めたいと思います。

 

それと同時に、今年もスタッフの皆さんと多くの私設エイドの方々のサポートに本当に助けられたので、シーズンオフのこの機会に恩返しをしたいです。いちばん簡単なのはやっぱり大会ボランティアかな?何かしら考えて行動に移していきたいと思っています。

 

 

以上、長文お読みくださり有難うございました!