Nox Notes~日常から生まれる小さな思考実験~

Nox Notes~日常から生まれる小さな思考実験~

日常の中でふと感じた心の動き。
そして、小さな気づき。

試してみる。観察してみる。
そんな思考の実験を重ねていくと、
当たり前の世界の見え方が
少しずつ変わっていく。

これは、
日常から生まれる小さな思考実験の記録。

私は、子どもの頃から

誰かのために動くことが当たり前だった。

 

両親は共働きで、

5歳と6歳下の妹たちがいた。

 

保育園に迎えに行くのも、

食事の準備をするのも、

母の代わりに世話をするのも、

 

自然な流れの中で、私の役割になっていた。

 

誰かの世話をすること。

顔色を見て、空気を読むこと。

 

そうやって生きる癖は、

大人になっても変わらなかった。

 

結婚してからも、

気づけばテキパキと動いて、

ケアする側に回っている。

 

何かを勧められても、

「どうぞ」と譲る。

 

自由にしていいと言われても、

どこかで遠慮する。

 

気づけばいつも、

自分は後回しだった。

 

でもあるとき、

自分の人生なのに、

ずっと脇役のままでいるのは、

少し違うのかもしれない、と思った。

 

そもそも、

脇役でいることに慣れすぎて、

自分が何を望んでいるのか、よく分からなくなっていた。

 

誰かを優先する自分の在り方は、

どこか「正しいこと」だとも思っていた。

 

でも、

人を優先したからといって、

何かが返ってくるわけでもない。

 

むしろ、

それが当たり前になって、

気づかれないことの方が多い。

 

他の人は、

ちゃんと自分を優先している。

 

だったら、

自分を主役にしてあげられるのは、

自分しかいない。

 

そう思ったとき、

自分の中の感覚に、

はっきりとした違いがあることに気づいた。

 

自分の望みに沿っているときは、

安心感や、静かなワクワクがある。

 

逆に、

ザワザワしたり、モヤモヤするときは、

誰かの顔色や評価を気にして、

自分の望みを抑えているときだった。

 

例えば、

「この日、人手が足りないからシフト入れる?」

そう聞かれて、

 

本当は休みたいのに「分かりました」と答えてしまう。

そのあとに残る、あのモヤモヤ。

 

あれは、他人軸にいるサインだったのだと思う。

昔は、それでも断れなかった。

 

 

でも今は、

「その日は予定があるので無理です」

「この時間までなら大丈夫です」

 

そうやって、線を引けるようになってきた。

 

ここに至るまでに、

自分の好き嫌いを書き出したり、

人との境界線を意識したり、

小さく断る練習をしたり、

 

あえて「やらない」ことも選んできた。

 

ずっと頑張ってきた人にとって、

自分の欲求を優先することや、

誰かの頼みを断ることは、

思っている以上にハードルが高い。

 

だから、

一気に変えようとしなくていい。

 

強い拒否感や不安が出ない程度の、

小さな一歩でいい。

 

変化を恐れる脳に気づかれないくらいの

静かな変化を重ねていく。

 

そうしているうちに、

他人軸だった自分が、

少しずつ自分軸に戻ってくる。

 

すると、

自分がどう生きたいのか、

何を大切にしたいのかが、

輪郭を持って見えてくる。

 

特別なことをしなくてもいい。

 

ただ、

自分の人生にカメラが向いているとしたら、

どんな選択をするか。

 

そう考えるだけでも、

少しだけ、自分を主役にできる気がしている。