こんにちは。野雨紗樹です。

先日、バスの中からふと外を見ると
路傍に腰を下ろし
周りの人と笑談されているお方は…
なんと金田一先生でありました。

あれから幾星霜…
当時のままのお姿に
一瞬、時の流れを忘れ
そして次の瞬間、
教師という仕事は素晴らしいなと
感じたのでした。

人にものを教えるということ。

私が考える教師像は
一方的でもなく
自己満足でもなく
傲慢にならずに
相手の立場に立てる人。

でも
大きな声を出したり
ものを叩いたり…

こういう先生、時々いますよね。
ヴァイオリンに限らずですが。

熱心な指導ゆえのこととは思っても
そういうのって
教師、生徒の両者にとって
いいことはない、どころか
逆効果になっているようにも思うのです。

先生も生徒も
上達することを目指して
頑張っているというのに。

大声を出されれば
教わる側は畏縮して
頭が働かなくなることで
体が意図したとおりに
動かせなくなって
するとまた指摘され
するとさらに畏縮して
ますます意図したとおりに
体が動かなくなり
そこでまた指摘され…

という負のループに陥ってしまいそうで
精神的にもよくないような気がします。

それよりは
ほめて伸ばす方が
さまざまな面で効果的だと考えます。

これは何も
ヴァイオリンに限った話ではなく
子育てでも仕事でも
同じだと思うのですが

「思考は現実化する」
という言葉のように
思考、つまり使う言葉を変えると
それに合った未来がやってくる…

ということからも

すごい!
素敵!
素晴らしい!


というような
言うとわくわくするような言葉を
たくさん使いたいと思うのです。

そして

ダメ!
全然ダメ!
どうしてできないの!
こんなこともできないの!


こういうことを言っていると
どんどんそうなってしまうので
私なら使わないかなあと思います。

それに。
思考は現実化する以前に
生徒さんは生徒さんなりに
一生懸命、練習してきているのです。
それを想像したら
全然ダメ!とか
相手の気持ちを無視したような言葉、
私ならとても言えないです…

自分にできて当たり前のことこそ
それを学ぼうとしている相手の
気持ちを思い遣った指導ができれば
生徒さんの上達にもつながるのだと
思うのです。

人にものを教えることはできない
自ら気づく手助けができるだけだ


これは
地動説を唱えたガリレオ・ガリレイの
言葉ですが

人は本当に自分が理解しなければ
行動が変わらないものだし

「教える」という表現は
私的には何となく
上下関係を意識させるようにも
感じてしまうので

このブログも含めて
気づきのお手伝いをさせていただけたら
いいなあという感じでやっています。

どこかのだれかに届くことを願ってクローバー

それでは
今日も素敵なヴァイオリンライフを♪

いつもありがとうございます虹ラブラブ