「少欲知足」の心で、節電、節水を心がけて、「痛み」を分け合うのは大事だけど、「喜び」や「楽しみ」も分け合うことが大事なんじゃないかな?

「不謹慎」という言葉に、囚われすぎませんように!!


ナニメン さんからの、メッセージです。


-以下転載-


「不謹慎」のキャンペーンを防ぐ


私、ナニメン大賛成です



岩崎聖侍さんのコラムをご紹介します



東日本大震災で『ユーモア』が許されないこの緊張状態では危険。

未曽有の大震災が東日本に襲い、多くの方が被害に遭いました。

何も出来ない自分が、本当に歯がゆいです。


そんな状況ですが、自分のできることを再認識しました。


1 まずは節電。


2 できる限りの寄付。


3 しっかり仕事する(日本経済を復活させる)。


4 未確認情報やネガティブな情報を拡大させない。

だと思っています。


そして、5番目に『不謹慎』のキャンペーンを防ぐということを掲げたいと思います。


Twitterでは、レンタルDVDの宣伝(テレビは地震のことばかりでつまらないという方、来店お待ちしております)

をツイートした店員さんがボロクソに言われたり、

テレビでアニメを放送したら、抗議の電話が鳴りまくったようなことが起きているようです。


しかし、みなさん、よく考えましょう。


まず今、日本は支援する国から支援される国になってしまいました。


これだけの被害が出たのですから、ただでさえ赤字だらけだった財政はさらに緊迫します。


当然もっと税収を増やさないと、日本はやっていけなくなります。

ということは、これまで以上に日本は経済成長を目指さなければいけません。

テレビで悲惨な映像を見ているだけでは、被災地を復興することはできないのです。


キレイごとではなく、お金(税収)がないと復興はあり得ません。


もちろん、まずは救出活動や復旧作業、ライフラインの維持が優先ですが、

私たちができるのは、節電と寄付ぐらいです。


それ以上はなるべく普通に…いや普通以上の生活をしたほうが日本経済にはいいわけです。

しかし今、多くのビジネス活動が『不謹慎』として叩かれる可能性を持っています。


そうなると、普通以下の経済活動しか行われなくなり、

そのツケは、いずれ国民、とくに復興が遅れる被災地の方が払うことになります。


ならば、私たちは節電をしながら、経済活動を続けないといけません。


もちろん消費についても同じです。


スーパーやコンビニにいくと、水やカップラーメンはまったくの品薄ですが、ビールなどの嗜好品は全然売れていません。


こんな時には、普段高くて飲めないエビスビールを飲んで、朝食はヨード卵ひかりの目玉焼きぐらい食べましょう。


それが復興への手助けになります。


寄付だけでは、本当の意味での復興は難しいのです。


そして、何より、いっさい『ユーモア』が許されないこの緊張状態はいつまでも続きません。


そのうち多くの人がストレスで体調を崩しかねません。

『人は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ』

私の座右の銘です。


テレビや新聞では悲惨なニュースしか流れていないので、知らず知らず、多くの人が『不謹慎だ!』と言って、抗議をするのでしょう。


だから、テレビも放送できない。


スカブラという職業を知っていますか?


昔、まだ九州で炭鉱が盛んだった頃の話です。

10人の炭鉱マンが3勤務交代制で、石炭を掘っていました。

勤務が終わると、炭鉱マンたちは、トロッコに乗って炭鉱から出てくるのですが、

11人の炭鉱マンが乗っています。


そして、その中の1人だけ、汗はかいていないし、服はあまり汚れていない。

そしてニコニコと笑っているのです。


この男こそ『スカブラ』なのです。


スカブラは石炭を掘りません。


炭鉱の中で、エッチな話な、面白い話をしたり、みんなにお茶を出したりしているのです。

これが仕事なのです(笑)


このようにスカブラを採用して仕事をしていた九州の炭鉱会社でしたが、

日本のエネルギーが、石炭から石油に代わっていくのに合わせて、会社も傾いていきます。

すると当然、リストラの話になります。


役員たは話をします。

当然『何もしていない“スカブラ”からクビを切ろう』という結論になります。


そして、スカブラをリストラし、10人の炭鉱マンのみが炭鉱の中に入って行くようになりました。


その結果、どうなったか?


作業効率が大きく下がりました。

スカブラがいなくなってから、今まで同じ時間でやれていた仕事が全然できなくなってしまったのです。

そして炭鉱マンたちの人間関係もギスギスしていったそうです。


今…

自衛隊や警察、消防の方々は、もちろん必要ですが、

多くの人を笑顔にする『お笑い芸人さん』も必要なのではないでしょうか。


会社もせっかく休みなら、エビスビールを飲みながら、お笑い番組でも見たいです。

そこでストレスを発散して、英気を養うのです。


そして、私たちがやることは、たった一つ、

また明日から一生懸命働いて日本経済を復活させることです。

(岩崎聖侍 株式会社FreeLifeコンサルティング代表/ストーリー戦略の専門家)



大賛成だ ナニメン

外は風が強く、メチャメチャ寒い。

それでも、僕らはきっと恵まれているほうなんだろうな。

あとは、早く復旧してくれることを祈るだけだな。


そんな妄想をしていたら、マヤちゃんの叔父さんのタクシーが到着した!!

よし、これで帰れるぞ!!

しかし、到着したのは深夜12:00過ぎ。

彼女が連絡をしてから、4時間近く経過していた。


先生 その451


23区内に住んでいる友達にも連絡をとったが、携帯が繋がらないうちにバッテリー切れ。

住所を分かっている人はほとんどいないので、「そこまで行ってください」と指示できない。

一か八か、「守谷方面で行けるところまで行ってください」とお願いするしかなかった。


叔父さんは裏道を選びながら、赤坂、麹町近辺を走るが、大きな道路はほとんど渋滞しているため、動けない状態が続いている。

30分走っても、三宅坂までしか辿り着かない。

「これ以上、無理をさせるのは危険」と判断して、最寄りの帰宅困難者避難を収容する施設に行ってもらうことにした。


「厚生労働省が部屋を開放しているらしいぞ」

叔父さんの情報をもとに、厚生労働省まで行ってもらうことに決めた。

メーターは4000円以上だったと思う。


「お釣りは結構ですから」と、5000円札を渡そうとすると、「いや、お代は結構です」と返されてしまった。

「いくらも進んでないんだから、受け取れないよ」と、にこやかに答えてくれる叔父さん。

いくら個人事業主とはいえ、こんなに時間をロスしているのに・・・。

落ち着いたら、絶対に何か恩返しをさせていただきたいと、強く思った。

何度もタクシーに頭を下げて、僕らは厚生労働省に向かって歩き出した。


「帰宅困難者の方ですか? お疲れさまでした。どうぞお入りください」

普段なら厳格に不審者を守っているであろう警備員さんは、優しく微笑みながら通してくれた。

2Fにある講堂では、すでに多くの人が横になっていたが、想像していたほどの混雑はない。まずは温かい場所で、夜を明かせそうだ。


毛布を借りてスーツのまま身体を横たえ、不安を感じながらも眠りにつく。

この時は、メールでのやり取りができただけで、まだ家族の声は聴けていない。

今まで携帯電話に依存していた分だけ、無くしたことでのありがたみを深く感じた。


続く

段々と状況が見えてきた。

「JRは全線不通、今夜は復旧しない」

この情報を聞いて、「もう待機している場合じゃない」と決意して、一緒にいた星野さん、カッシーと共に店を離れ赤坂に向かって歩き出した。


路上は双方向人で溢れ、道路は車が大渋滞。

コンビニは空いているけど、欲しいものはすべて売り切れている。

ようやく辿り着いた先は、義兄の勤める某シティホテル


「義兄の名前を出せば、マヤちゃんと山﨑を休ませる部屋はとれるだろう」

そんな甘い考えでフロントで交渉するも、客室に空きは無いとのこと。

想定していたが、これほどまでに混乱しているとは・・・。


先生 その450


ホテルのロビーには、たくさんのお客さんで溢れていた。

その人達が見つめていたテレビを見て、愕然とした。


宮城・茨城県沖で地震

マグニチュード8.8


画面では、千葉で起きたコスモ石油の火災の映像が流れていた。

そして、あの大津波も・・・。

「怖い」と感じながらも、意外と冷静だった自分がいた。

きっと、「二人をなんとかして、家に帰してあげなきゃ!!」と、気を張っていたからだと思う。


兄貴も忙しい合間をぬって、会いに来てくれた。

「宿泊客が多すぎて、全員を部屋に案内するまで、まだまだ時間がかかりそうなんだよ。こんな時に役に立てなくてすまないなぁ」

謝る兄貴に申し訳なさを感じつつ、己の判断の甘さを痛感した。


「専務、私の叔父がタクシーの運転手やってるんです。ダメもとで呼んでみますか?」


マヤちゃんの申し出は、とてもありがたかった。

ダメもとで連絡をとると、迎えに来てくれるというので、お願いすることにした。

「とにかく、自宅に近い方向で、行けるところまで行ってみよう!!」 まだ、現状認識は甘かった。


ホテルのロビーには、僕らのように部屋に入れないであろう帰宅困難者がたくさんいた。

ホテルのスタッフは、普段なら招かれざる客である僕らのために、ペットボトルの水を並べてくれた。

そういえば、昼ご飯を食べて以来、まともに食事をしていない。

寒さもあって、空腹が身体にこたえる。


「よろしかったら、非常食用のビスケットいかがですか?」


差し出してくれたのは、やはりホテルのスタッフだった。

文字通り、喉から手が出るほど嬉しいプレゼント。

普段なら、何でもなく食べているようなお菓子が、これほどまでに美味いとは・・・。

いや、それ以上に、ホテルの人たちの心づかいが嬉しくて、泣きそうになった。


続く

その日は11:00に会社を出て、山﨑クンとマヤちゃんと守谷駅で待ち合わせをした。

ボクにとってはいつものような感覚、彼らにとっては久々のTXに乗りこんで、青山一丁目に向かう。

彼らもこれから電車での移動が増えるだろうと、PASMOを支給した。


12:30くらいには青山一丁目の駅に到着して、地下街でランチタイム。

そしてエレベーターで15Fに上がり、セミナールームへ。

DCCのおさるちゃんと、講師の星野さんが笑顔で迎えてくれた。

本当にいつもと変わらない一日だった。


先生 その449


休憩時間が終わって、講義が再開して10分くらいだったでしょうか?

「え、何これ、地震?」

と気づいた時には、床が大きくうねるように揺れ始めました。

ボクは意外と冷静で、「あぁ、このビルは免震構造になってるな」くらいにしか考えていませんでしたが、なかなかおさまる気配がありません。


「ドアをあけましょう」

機転を利かせたのは、うちの山﨑クンでした。

しかし、その前にすでにドアを開けてくれていたのは、DCCの事務局を担当するおさるちゃんでした。

普段からお茶目で、僕らを元気にしてくれる彼女は、こんなときにも関わらず冷静沈着な行動をして、僕らの安全をキープしようとしていたのです。


余震とアナウンスが流れる環境でも、星野さんは講義を続けて下さいました。

僕らもその一生懸命な姿に、心を落ち着かせながら、最後までお話を聴かせていただきました。

おそらく、こんなに怖い状態でのセミナーは、誰にとっても初めてだったと思います。


講義が終わると、みんなで階段を下りて、地下の飲食店に入ります。

宮城県沖での地震という情報は入りましたが、被害の大きさについては認識がありません。

「地下鉄が動き始めるまで、ここで振り返りができる」そんな安易な発想でした。

ただ、会社や家族と連絡が取れないのが、心配でしたが・・・。


「そういえば、おさるちゃんはどうしていたんだろう?」

そう気づいたのは、大分後になってからでした。

恐らくは、青山から渋谷の事務所までの道も、一人で歩いて戻ったことでしょう。

最後まで講師と受講生のために、落ち着いて職務を全うしようとした彼女に、頭が上がりません。

しかし、この時点では僕らも、恐らくは彼女も、地震の本当の姿を認識できていなかったのです。


続く

すべては我が師 -ぼくの好きな先生--2011031321220000.jpg

不安をかきけすように、黙々と折り紙を折る次男坊。
こんな姿を見れるのも、節電して、ゲームをやらないからだね。
昌弘、ないす!!