人間の死は、二回ある

一つは肉体が滅びて、命を失う時

もう一つは、その人の存在が忘れられてしまう時

だから坂本龍馬には、二度目の死はまだこない


吉井雅之


いきなりタイトルの答えを書いてしまうが、一番の先祖供養とは、ボクが思うに、残された家族が仲良くいることだと思う。


雨が上がった日曜日は、祖父の七回忌の法要だった。

一緒に住んでいたうちの両親と僕ら家族、そして親父の兄弟とボクのいとこたち(爺さんから見て孫にあたる子たち)と、その家族が集まった。


叔父叔母にとっては、父親の法要なので毎回来てくれるが、孫にあたる従兄弟たちが全員集合したのは、ひょっとしたら告別式以来かもしれない。

親父の弟、すなわちボクの叔父さんはすでに他界しているが、子供夫婦が7人、孫とその連れ合いが10人、ひ孫が5人揃うと、かなりにぎやかな席になる。


特に東京に住んでいるいとこたちは、うちの子たちの成長にビックリしていた。

爺さんが亡くなった時は、息子たちは小学生だし、長女もまだ3歳だったから、無理もないよなぁ


それぞれに結婚した子もいれば、独身の子もいるが、ボクを除いて全員が30代

だけどこうして集まると、未だにボクは「よっちゃん」と子供の頃の愛称で呼ばれてしまうし、ボクもついつい弟や妹を見るような目になってしまう。


爺さんも、親父も長男なので、夏休みになると、みんなお母さんと一緒に里帰りに遊びに来て、花火をしたり、カブトムシを獲りにいったり、一緒にお風呂に入って雑魚寝した思い出がある。

ある程度の年代になると、お母さんと一緒に里帰りなんてことはなくなってきたけど、今の年代になって集まると、そういった思い出話が懐かしいし、またやってみたくなるものだ。


こうして子供たち、孫たち、ひ孫までが、法要に集まってくれることを一番喜んでくれているのは、間違いなく天国にいる爺さんだろう。

今年は生きていれば、本人が生前目標にしていた100歳の誕生日を迎える年だ。

こうして全員集合できたのは、みんな無意識にそのこと記憶にあったのかもしれない。


冒頭の言葉を考えると、爺さんの肉体は亡くなったが、まだ第二の死は訪れていない。

少なくとも、うちの子供たちが生きているうちは、爺さんの存在はここに生きているはずだ。
ボクも第二の死が、22世紀まで続くような存在でありたい!!