「あこがれ先生プロジェクト」をやっていて気づくのは、

先生だけが変わっても、親が変わらんと、学校はよくならないということ。


だから今度は、「あこがれPTAプロジェクト」をやりたい。


押し付け合いの役員決めでなく、PTA会長をやりたい人が立候補して、自分のビジョンを語って選挙で選ばれるような魅力あるPTAを増やしたい


中村 文昭


2週間近く前の話になるが、「あこがれ先生プロジェクトin埼玉」のプレイベントに行ってきた。

その時の話は、突然誘ったのに、二つ返事で素直に来てくれたカブラギッシュの話しかしていなかったので、改めて感想をシェアしたい。


文昭さんの講演を聴くのは、実は3度目くらいなのだが、「あこがれ先生プロジェクト」をテーマにした話を本人から聴くのは初めてのこと。


「なぜこれをやろうと思ったのか?」というきっかけから、その後共感者が増えていった経緯、そしてこれから文昭さんがやりたいと思っていること・・・

その中で出てきたのが、冒頭の話だ。


自分がPTA役員をしていたころも、まさに押し付け合いの役員決め。

前例踏襲すれば、それでOKみたいな風潮が嫌で、お母さんたちがもっと肩の力を抜いて、楽しく参加できるようなPTAを目指して、色々な仕掛けを考えていた。


しかしながら、お母さんたちにとっては、「今までを変える面倒くささ」より、「今まで通りの面倒くささ」のほうが楽だと思われたようだ。

「ずっと負担が楽になるはずなのに」と、伝わらない悔しさは、ボクの面倒くささに変わり、結局は何もできないまま、2年目が終わろうとしていた。


その間にも、PTAのやり方にイチャモンをつけてくる親からの相談や、後任者が中々決まらないあせり

今まで感じたことのないプレッシャーに押しつぶされ、結局は逃げるように引退したのが事実だ。


翌年、一年間限定で、顧問のような立場で役員を経験したが、新役員さんたちにも、ボクの考えは受け入れてもらえなかった。

先生方との関係も、徐々によそよそしさを感じるようになり、まさに逃げるように役員との関わりを断った。


文昭さんの「あこがれPTAプロジェクト」の話を聴きながら、当時の情けない自分を思い出した。

やらされ感から始まったPTA役員だったが、それでも会長になるときには、志もビジョンもあったのだ。

思い通りにいかないからと、逃げていた自分が恥ずかしくなり、自然に涙がこぼれた。


先生と親たちが、「お互いに頑張りましょうよ」と応援して、共に子供を育む社会にしたい


文昭さんの思いは、ボクが立てた志を代弁してくれている。

いまさらPTA役員に戻ることはないと思うが、ボクなりのやり方で、学校を、先生を応援していきたいという、おせっかいな思いは消えていないようだ。