常不軽菩薩 というのは、お釈迦様の前世と言われる菩薩のこと。

「我汝を軽しめず、汝達道を行じて皆まさに作仏すべし(私はあなたを尊敬して軽く見たりはしません、あなたは仏さまになれる人だからです)」と説いて、傲慢な人々から罵詈雑言や暴力の迫害を受けますパンチ!

しかし、それに屈することなく、身の危険を顧みないで、その考えを説いて回るのです。ボクの解釈で言うと「人には無限の可能性があるよキラキラ」と・・・


先生 その152


テレビのドキュメンタリーでその存在を知り、本屋で著書に出逢ったのは4年ほど前だったと思います。

「夜回り先生」こと、水谷修先生プロフィールについては、語るまでもないでしょう。


およそ3年前、水谷先生が隣町に講演会に来るという話を聴いて、参加したことがあります。

先生のお話は優しく語りかけると同時に、大人である我々に気づきを与えてくれました。

聖職者とは、このような人のことを言うのでしょう。自らも病に侵されながら、夜の街を歩き、子供たちに語りかける姿は、まさに現代の常不軽菩薩です。


ボクもPTA会長時代に、市の教育委員会からの委嘱で、夜間パトロールをやったことがありましたが、怖気づいて、「早く家に帰りなさい」と言うのが精いっぱいあせる彼らの話を聴くことすらできませんでしたガーン


言いわけはいくらでも出てきます。

・市の職員に「危険だから、あまり声をかけないでください」言われたから

・自分が偉そうに言える立場じゃないから

・暴力を振るわれても抵抗できそうにないから

・別に彼らはその場所にいるだけで、罪を犯しているわけじゃない

・水谷先生みたいな有名人と違って、ボクみたいな無名な大人の言うことなんか聴くわけがない


書いていて虚しくなってきますむかっ

毎晩夜回りを続けながら、電話やメールでの相談に乗り、執筆や講演を通じて日本全国の人に警鐘を鳴らし続ける。しかも、自分の命を顧みずに、20年間ずっと・・・。

ボクは先生の行動の一部を真似することすらできませんでしたしょぼん


同じことはできなくても、自分にできることは何だろう?

そう思ったときに、読み返した水谷先生の本に、こんな言葉がありました。


夜回り先生のねがい/水谷 修

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15年間におよぶ活動の中、子どもたちが私に求めてくれたのは、一人の人間として当たり前の優しさでした。

私は子どもたちのそばに立ち、一緒に悩んだり、泣いたり、喜んだりしました。


なにかをしてもらったら「ありがとう」と言い、失敗したら必ず「ごめんね」と言いました。

でも、ただそれだけのことでした。

それをもし優しさと言うのなら、どんな大人でも、親も先生も誰だってできるはずです。


「無理」という言葉は使いたくありませんが、ボクは水谷先生のような聖職者にはなれません。

でも、「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉を正しく遣い続けることは、実践できます。

一生の凡事徹底として、いい言葉遣いと優しい心遣いをしていくことで、心に深い傷を負う人を減らしていきます。