子は親を映す鏡と言われています。我が家の子どもたちは、それぞれに個性的な子ですが、やっぱりどこか自分に似ているところがあります。


先生 その20


二男の昌弘は、今日10歳の誕生日を迎えました。

長男の泰久とは2歳違いなので、幼いころは何をするにでもお兄ちゃんと一緒。お兄ちゃんが幼稚園に通い始めたころは、毎朝別れを寂しがって、嫁さんの手を焼かせたようです。


そんな昌弘も幼稚園に通い始めると、友達も増えてきて、お兄ちゃん無しでも行動できるようになってきました。またお兄ちゃんや、その友達の影響もあって、他の子たちより落ち着いた賢い子に成長していきました。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-
この頃(兄4歳、弟2歳)は特にかわいかったなぁ、今でも可愛い息子だけど・・・


社交的で気ままな長男に対して、二男は几帳面で寡黙なタイプ。折り紙を折ったり、パズルを解いたり、一人で遊ぶことが大好きです。

反面、親として心配だったのは、同級生の友達と遊ぶことが滅多にありません。お兄ちゃんの友達がうちに遊びに来ても、一緒に交じって遊ぶことは少なく、隅っこで本を読んでいることが多いのです。


友達と遊ばないのか? それとも遊べないのか?

そもそもクラスの中に友達と呼べる子はいるのか?

ボクの勝手な価値観で、「友達がいない=いじめられている(あるいはいじめられっ子の予備軍)」というイメージがあったので、学校での様子が不安になります。


そんなときに、担任の先生から素敵なエピソードを教えてもらいました。


遠足のグループ分けをする際に、女の子3人、男の子1人というグループができかけていたそうです。一人だけの男の子は、なんだか寂しそうに見えました。

先生も「バランスをとってあげなきゃ」と思っていた矢先、別のグループに決まりかけていた昌弘は、「オレ抜けても大丈夫かな?」と友達に告げて、優しく微笑みながら、その出来かけのグループに合流したそうです。

一人ぼっちだった男の子はもちろん、クラスみんなが「ほっ」とした瞬間でした。


「自分のことよりも先に、友達に親切にすることが大切だよ」


口ではそう教えていながら、実践できていない自分と、実践して周りを幸せにしている息子。ボクは自分の未熟さを感じて、恥ずかしくなりました。

そして改めて、息子の存在を有難く感じることができました。


でも、まだ10歳になったばかりの繊細な少年です。

朝起きて、「学校に行きたくない」と激しく抵抗する日もたまにあります。

以前は世間体を気にして、先生たちに対して小さくなってしまうボクがいました。

しかし、昨年いただいたミラクルなご縁から、昌弘との接し方で大事なことに気づいたのです。


ボクが出来ることは、問題を解決させることじゃなくて、息子のありのままの姿を受け入れること。


まさに「子は親を映す鏡」。ボクにとっても、嫁さんにとっても、今の自分の姿を教えてくれる有難い先生です。そしていつまでも、お互いを尊敬できる親子関係が続くよう、カッコいい父ちゃんとして成長し続けます!



すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

昌弘、ボクの息子に生まれてくれてありがとう!

父親としてのボクを成長させてくれてありがとう!

あなたの父になれたボクは、本当に幸せな男です!