2009年もあと2日です。今日明日は、普段なかなか伝えきれない、両親に対する感謝の話を・・・


先生 その13


私の父は現在63歳。

子どもの頃は、成績も優秀で、スポーツも万能、高校時代はバレーボールで国体とインターハイに出場した経歴を持っています。

昭和44年にじいさんとともに稲葉運送を創業し、翌年には別法人の生コン製造会社を創業します。24歳にして社長ですから、青年実業家のようなイメージを持ってしまいますが、まだ地域での信頼は無いに等しく、営業も資金繰りも相当苦労したようです。


そんな親父の苦労を知らずに、私は育ってきました。

中でも印象的だったのは、私が小学校6年生の時に行った京都旅行のことです。


普段一緒に遊ぶことの少なかった私が、父親に「夏休みに京都に行ってみたい」とねだりました。家族旅行は近隣に行くことはあっても、新幹線に乗るのは初めて。親父は忙しい中、お盆休みに2泊3日の旅行の段取りをつけてくれました。しかも、親父と二人きりの初めての旅です。


ウキウキしながら向かった京都への旅。しかし、反抗期を迎えていたころの私と、いつまでも子供扱いしようとする親父の珍道中は、気持ちを通い合わせることができません。

普段なら、お袋が間に入ってくれるのに、今回は二人きり。「お昼御飯をどこで食べるか?」だけでも、喧嘩になる始末です。

しかも間が悪いことに、最終日には台風が上陸していました。京都駅の新幹線ホームは大混乱。やっと乗れた新幹線の中も、立っているのがやっとといった状態です。


やっとの思いで、自宅に到着したときに、親父も私もクタクタに疲れ果てていました。

「おかえり、どうだった、楽しかった?」と迎えてくれた母さんに向かって、私がふてくされ気味に

「冗談じゃない! 疲れただけでつまんなかったよむかっ!」と答えた途端、親父の鉄拳が飛んできましたパンチ!爆弾
今までに見たこともないような鬼の形相で怒鳴りつけられたことは、確かです。でも殴られた痛みと、恐怖心で何を言われたのかは覚えていません。とにかく「大変なことをしてしまった」という悔いだけが残りました。


しばらくして、心が落ち着いたころに、母さんが来てこんな話をしてくれました。


「お前にはまだよくわからないだろうけど、お父さんの会社はいま大変なんだよ。お父さんの夏休みは、お前と京都に行った3日間だけしか、なかったんだよ。今日はもういいから、明日の朝起きて、お父さんに『ありがとう』を言いなさい。お父さんはそれで許してくれるから・・・


あれから20数年の時が経ちました。

以前、二条先生の本を読んだときに、「過去の決算書を全部読んでみる」という教えがあったので、当時(昭和58年頃)の決算書を見てみました。前年の経常利益率は10%弱あったのに対し、この年はそれを大きく上回る金額の赤字です。


もっと深く調べると、回収不能な債権者の件数と債権額が大きく増えていました。とても、息子と一緒に楽しく旅行ができる心境ではなかったと思います。

いや、逆に男同士で、楽しい旅をして、気持ちを切り替えたかったのかな? 

今となってはなかなか実現しませんが、2人だけで温泉やゴルフに行って、プチ親子旅行をプレゼントして、あの時のお礼をしたいと思います。


ちなみに、京都から帰ってきた翌朝のことですが、寝坊した私は父に「ありがとう」を伝えていませんガーン。このブログをきっかけに、今日中に御礼を言いたいと思います。


最近やっと親父の息子であることを嬉しく感じます。これからも、元気で母さんと仲良くしてください。