今日から、このブログをとおして、私がお世話になった(なっている)先生を紹介していきたいと思います。

目標は、一日一人!ネタが尽きないよう、ご縁を求めて駆けずり回る日々を積み重ねていきます。ただ、紹介する順番は、ランキング形式ではなく、その時のインスピレーションなので、ご了承ください。



先生 その1


今日は、4年前に亡くなった、私のばあちゃんの誕生日です。

私が子供のころは、仕事に忙しかったた母に代って、ばあちゃんが私の面倒を見てくれました。

「誰にでも優しくするんだよ」「毎朝、仏様に手を合わせるんだよ」というのが、ばあちゃんの口癖でした。


ばあちゃんは、大正9年に茨城の貧しい商人の家に生まれました。

戦争中に爺さんの家に嫁ぎ、男の子を授かりましたが、二男(私の父)を産んだ直後に、2歳だった長男が病死。その時のショックは、はかり知れません。想像するだけで、胸が苦しくなります。

でも、ばあちゃんは常に明るく前向きに生き、困っている人がいれば手を差し伸べる生き方をしてきました。いつもニコニコ笑顔で、正義感の強いお母さん。親父たちにとって、ばあちゃんはそんな優しくたくましい女性に見えていたようです。


私が産まれたときに、病室で初孫(私)の顔を見た瞬間に、「お前、帰ってきたんだね」と、ばあちゃんは歓喜の声をあげたそうです。

「帰ってきた」という思い。それは、2歳で亡くなった伯父のことを思い出したのでしょう。事実、伯父の産まれたときの顔立ちは、私にそっくりだったようです。

晩年は多趣味な余生を送り、油絵、書道、日舞などを嗜み、コーヒーが大好きなハイカラなばあちゃんでした。じいちゃんと一緒に、海外旅行にも何度か足を運んでいました。

しかし、私が結婚したころと前後して、ばあちゃんに痴呆症の症状が出てきました。ショックでした。頭がよくて、いつもニコニコしていた人が、いつも不機嫌な顔をして、時に私が誰だかわからなくなってしまう・・・。いつしか私は、ばあちゃんのそばに行くことを、避けるようになりました。


6年前、くも膜下出血が原因で、昏睡状態に陥り、約2年間の闘病の末、2005年4月7日に永眠。

皮肉なことに、ばあちゃんの死を看取ったのは、交代でお世話に通っていた、母や叔母でなく、たまたま居合わせていた私と、いとこでした。桜の花びらが舞う、日本の女性がもっとも輝ける季節に、ばあちゃんの人生は幕を下ろしました。

悔やまれるのは、痴呆症が出始めたころのばあちゃんを避けていた自分。もっと話を聴いてあげればよかったと思います。

だから私は、毎朝ばあちゃんの教えを守って、仏様に手を合わせて、ばあちゃんと話をしています。



ばあちゃん、天国ではじいちゃんと仲良くしているかい?

オレは、ばあちゃんの孫に産まれて、幸せだよ。