人間は男女問わず、いくつになってもかわいさを忘れてはいけない。


人間の最たるかわいさのひとつとして、車が一時停止している横断歩道を、小走りで渡る事をあげたい。


老若男女、さして速くなるわけでもないのに、急ごうとするその行為は停まってくれた事への感謝や気遣いともとれる。


横断歩道を小走りで渡る人を見ると、何て人間はかわいいんだろう、きっとあの人は良い人何だろうなと思うと同時に、歩行者が優先だ、とばかりに、のろのろと携帯などを見ながら歩く人を見ると、絶対あんな奴とは仲良くなれないどころか、全ての人間性を否定したくなってしまう。


若さ故の可愛さは如何ともしがたく、年齢とともその可愛さは減少して、ある年齢を境にまたかわいさとして弧を描く。


太々しさとかわいさは似て非なるものだし、同じようにも思える。


生意気な事がかわいくみえるには、年齢差が必要かも知れない。


男は、青年期を境に可愛いものからカッコいいものに移行する傾向にある。


幸いな事かどうかも分からないが、46歳となった自分は同世代の同性より、かわいいものに敏感なように思える。


それは異性に対するそれではなく、人間とか、動物とか、デザインとか、仕草とか。


その何気ないかわいさで、日常が嬉しくなるあたり、自分の中にある女性的なものなのかも知れない。


部屋のガスを止めているからという理由もあるが、よく銭湯や温泉へ行く。


「前を隠しなさい」とは子どもの頃に教わった記憶があるが定かではない。


ぶらんぶらんさせて歩いている人もいれば、隠している人もいる。


そんなものは勝手にすればいいが、自分としては「汚ねえもんみせんじゃねえよ」とは思っている。


いい歳した人が前を隠して移動する姿は慎ましく、かわいくみえる。


最近気になり始めたのは、おじいちゃん世代の人たちに多い、何といえば伝わるか、天の橋立の時のようなポーズをして股を洗っている人たち。


そんなに腰を曲げて一体どこを洗っているんだと思うし、どこで習ったんだよと首をかしげたくなる。


人間はかわいさが大事。


歳を取れば取るほど。


かわいさがあれば、少しくらい腹が立っても、しょうがねえかと思える。


かっこいい人や事は好きだけど、かっこつけてる人や事は苦手。


可愛く見せようとする事も悪い事ではないけれど、その人間から滲み出るかわいさには到底敵わない。


横断歩道を小走りで渡る人が好き。


なんて人間はかわいい生きものなのだ。


おやすみ。