何を勘違いしてか、たまにお店について相談されることがあるのだけれど、一つ言える事は目的がお金なら飲食店なんかやらない方がいいということ。他にいくらでも稼ぎようがあるから。


とはいえ、規模や立地によりけりではあるけれど2〜300万円もあればお店っぽいものは出来上がるし、ある程度学がなくてもそれなりのことは出来るので馬鹿がたくさんいるのは承知の上で、新規参入は後を絶たない。


自分は、お店をやりたい!と大志を抱いて始めたわけではない、何となく始めてみよかな、で始めてみた点では稀有な人なのかもしれない。


商売の才能はない。


目に見える様なやる気はない。


見た目よりかはまともなことをしている自負はあるが、もう少しやりようがあるだろとも思っている。


「こういうお店やりたいんですよね」と言われても「じゃあ、やればいいよ」としか言うことない。


自分の事じゃないし、だいたいのお店は3年で潰れる業界。どうせダメになるなら早めの方がいいと思うんだけど。


先日、「コスパが良くて、楽に出来るもの」で勝負したいと言っていた人がいたが、そんなものがあるならみんなとっくにやっている。


「コスパ悪そうで、作るの大変そうで、けどやりたいから何かを削りながらもやってるんだろうな、バカだな」というお店をみると、間違った感銘を受けて自分もそうなりたいと、破滅の道へ誘われそうになる。


安ければ良いわけではない、美味しければ良いわけでもない、何か分からないものが渦を巻いては消えていく様な業界。


これも言えることは、人を大事にしないお店は遅かれ早かれ衰退していくこと。


一時代を築くことも難しい飲食店で、市内に何店舗もあったようなグループも、今では本店すら立ちいかない様な状況を何度も見てきた。


一従業員だろうが、一アルバイトだろうが、人を軽く扱うと、そこの会社は長くないのは、この業界に限った事ではないのだと思う。


自分は自分のやりたいようにやって、ダメなら仕方ないなと諦めがつくけど、このやり方で誰かを雇い責任を持つことはできないから、これからも自分一人で思いつくことを、ずっと一人でやっていくつもり。


こういうお店があったらいいなとか、こういう料理出しているとこないなとか、色々な場所に買い出しに行っては新しい食材を見つけて喜び、たくさんのお店に食べに行って感嘆し、ひとりで死ぬほど仕込みして、出来る限りの手作りして、暇さえあれば試食して、お腹いっぱいになって胃腸炎になって、誰と分かち合える事もないけれど、今の自分にできる事、思いつくことをぶつけていく場所が持てたことは、自分のお店を作って良かった事の一つ。


こんな人は珍しいわけではない。


みんなそれぞれの立場でがんばっていると感じている。


少なくとも自分が好きで通っているお店や人たちには。


それでも祝福を受けられるのは、その中の一握りだけ。


「自分は正当に評価されていない」と思う人が多い世の中で、自分は人から過剰に評価されていると感じている。


無学、無宗教ではあるけれど、祝福という言葉があるのなら、このような場所で今も細々と営みを続けていられるのは、紛れもない祝福なのかもしれない。


「普段、何してるんですか?」と聞かれる事もあるけれど、特に何もしていない。


家に帰ってゴロゴロして犬触っているくらいで、いつもぼーっとしていることが多い。


だからたまにはこうして文章を書く事にしている。


「コスパが良くて、楽そうなもの」に祝福を見つけられない。


いつか、その事に気づける日が来ればいいのだけれど。


またね。