国民の意見が割れている、、と
毎日のようにマスコミが取り上げていますね。
半数以上の人が
反対を唱えていて
国会議事堂前では、
何千人規模のデモまで起こっています。
思えば自分も
東北震災の折に
原発反対のデモに参加した記憶があります。(^o^;)
前にも書きましたが、
三次元的には、
このような民衆の大きなうねりが
やがて国全体を
ポジティブな方向に動かしていき、
結果的に
放射能まみれのはずの地球が
緑豊かで住みやすい地球に変わった、、
なんてこともあったかも知れません。
でも、
これを繰り返すうちは、
あらゆる事柄について
賛成VS反対 のデモが
起こり続けるという点での
地球は何も変わらないでしょう。
右か左か、の
二極性の意識でいる限り
「闇」と「光」の闘いは続くからです。
いまは、
これまで通り
たったひとつしかない地球をどう変えていくか、
という意識のまま居続けるのか…
無数にある地球の
どの地球に生きたいのかを選ぶ意識で居続けるのか…
この二つの分岐点に立っています。
さらに言えば、
このブログを書いている自分自身も
このブログに目を通されている方々も
もうすでに
後者の地球を選択している人たちです。(^_^)
ですから、
様々な人が
どのような感情を持って
どのような行動に出ようと
それについて
判断する必要はどこにもないです。(^_^)
ただ
対抗する意見を目の当たりにしたら、
と捉えて、
自分軸を
二極性のライン上から抜け出た
「今ここ」に
持ってくることに
意識を集中します。
淡々と
その時に素直に感じた感情を
手放していく、
ということです。
同じように、
国葬の是非について問われたとき、
国民の弔意がどうである、
海外首脳の弔問がどうである、
税金の無駄遣いがどうである、
よりも、
自分がどうなのか?についてを
優先します。
ご自分が予めお決めになっていた
寿命の中で
(私から見たら)
次から次へと
ものすごい勢いで
やりたいことを実現し、
それを思う存分まっとうされた
元首相に
祝福と慰労の言葉を贈りたい
と、心より思っています。
葬儀の形態は
なるようになったら良いのではないかと
思っています。