このブログだけをパソコンで見ている方の中には
一番上にある
「学びと表現のためのデザイン研究所 IDEAL」
が、なんだろな?と気づく方がいるかもしれません
 私の心の中では、このブログは
「IDEAL」http://treecafe.net
の中の一つの表現という位置づけです

 それについて興味を持って頂いたら
言葉足らずながらそのページを読んで頂くとして
今日は「表現」について
思うことを言葉にしてみたいと思います

ひとが言葉や音楽や行動や
その他ありとあらゆるものを通じて
何かを伝えたい、自分の中にあるものをかたちにして伝えたいと
そう願って行う全てのこと

表現
それはかたちになり
不特定多数かもしれないし たった一人のこともあるけど
ひとたび誰かに受け取られれば
何かを感じたり 感じなかったり
ひとによって感じることも違えば
表現者の思いもよらない 大きなな感情を抱き
その人を動かすこともある


たとえば私のいる水鳥センターから
琵琶湖と水辺の風景を見て感じること
きれいだな とか 落ち着くな とか
すごくとっておきのことを感じる とか
たくさんの人が 一つの表現から
いろんな感覚をもって受け止められています

え?琵琶湖の風景が表現なの?と
不思議に感じることもあるでしょう
私はこれも表現だと思っています

小さな意味で言えば
この場所に建物と窓があり
小さな造形を整え 見せたこと
これは人の手が作り出した 一つの表現です
借景とかいうようなものでしょうか

もっと大きな意味で言えば
この前にある琵琶湖も空も大地も
人を含めた全ての生きものと宇宙という
とてつもなくたくさんの主体が
それぞれの思いや目的や生き方をもって作り出した
ひとつのかたちで

そのとてつもなく たくさんの主体を 一つずつ感じて
ひとが自分の感情を抱く
自分の中にいろんな主体を感じて
混沌と純粋と 驚きと畏敬と
筆舌尽くしがたい大きな 気持ちのいい感覚を持つ

それこそ表現だな と私は感じます
ちょっと意味は小さく感じるけど
アートって言っても分かりやすいかもしれません

その表現を 深く深く そして広く受け取り 感じる
私はそれをここでは「学び」という言葉を使っています

学びと表現をより深めたい
それをかたちにして生きていたい
それを私はおもっています

これまでずっとそれを高めたいと
生きてきました

表現すること について あまり書いていません
私は 他のたくさんの人と同じく 一人の感覚を持ち
それを表現していきたいと思っているわけですが
学びの部分が 他の人と 何かが大きく違っていて
ひとにとってみれば それは面白いんじゃないかと感じています

ところがどうにも表現は難しい
膨大な時間が過ぎてゆき
それでも不十分で できているのかわからない
その人が集中でき 感覚を高めて 自分の心の動きに気づけるように
まわりのかたちを作る
簡単なことじゃないことはわかっているけど
今必要で
またその場でもないところで 言葉にしないと伝わらない 広がらない

私のような仕事 人の世界を含めた自然の中で
表面上は見えにくい深いところを伝えることを
インタープリテーション(通訳・自然解説)
という言葉で業界では表現されています

考え方の整理は進んでいるし
すごく広まってきてはいるのですが
まだまだ自分の心に触れてこないのです

木の上に登ると それは別世界
心も揺れ動かされて 学びの力も高まるのですが
それを普段の暮らしの中でも使えるように出来ないか

長い模索がこれからも続きます