昨日鹿島神宮にお参りに行きました。

気学での 10月の大吉開運方位 東の方位をとるための旅でした。


今まで2度ほど鹿島神宮にお詣りに行っていますが、時間がなくてお守りコーナーに行ったのは今回がはじめてでした。

そこでこんな護符を見つけました。

 

 

鹿島神宮には もともと物忌様がいらしたそうです。

今回初めて知りました。その物忌様がいらしたときに作っていた護符なのでなんとなく気になって購入しました。

願いを祈って持ち歩くのだそうですよ。

 

物忌(ものいみ)について
亀卜(占い)により選ばれた女性祭主

   物忌の地位は極めて高かった

   鹿島神宮ご本殿の奥深く御内陣に奉仕するのが役目であり

   男子の立ち入ることを許されなかった

 

   明治維新前までの殿内における奉仕ぶりは 

   さながら神の后とも言える様である

 

  因みに物忌は穢れを知らない童女の頃より

  男子立入禁止の物忌館に籠って 仕女の世話を受けながら 

  一生を神に仕えたので

  神宮へ出勤の途上も男性の目に触れない様に輿に乗った訳である

 

鹿島神宮にもそんな女性祭主がいたとは。しかも明治まで。。

 

鹿島神宮の中は すべてお詣りしたので帰ろうかと思ったけれど

いただいたマップを見ていたら、裏側に 神宮街の接末社の案内地図がありました。

なんと16もあるのです。前はきっとここも神宮の敷地だったのでは?

 


その中で 跡宮(あとのみや)という摂社が気になり歩いて15分くらいなのでいってみました。

4番です。水辺の西の一の鳥居に近いエリアです。東西北に一の鳥居があるのですね。

あとで調べたら南は、息栖神社の鳥居になるのだそう。息栖神社が、鹿島神宮にまとめられてしまったような感覚です。

 

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なんとそこは

 鹿島の大神の荒魂を祀るとされる場所でした!

 御祭神 : 武甕槌大神荒魂

 古くは大曲津命(おおまがつのみこと)とも

 

大曲津命? 参考にしたブログからですが 大曲津日命がヒット

 

なんと 大曲津日命は瀬織津姫と同一化しているという説があるそうです。

 

うわあ、ぞくぞく。😳❤️

 

そして この跡宮の傍らに

かつては亀卜(きぼく)により選ばれた物忌が住むお社があったと。
 

さっき買ったお守りを作っていた 物忌様もここに住んでいたのですね🍀

 

産道はとても綺麗でしたが、わたしがいる間に、管理されている方が、さらにホウキで掃き清めてくださって 本当に綺麗になりました。


 

敷地内に 四角く囲まれた場所がありました。頭で調べてみるとそこが物忌さんがいた場所だったそうです。

 

 


木々もとても古く ここにパワーがあるかのごとくねじれていたり。


大きな切り株

 


神社とその敷地の林のような場所は とっても気が良くて💕 

あ〜わたしここにいたのかもって気がしてきました🍀💚

 今回 来るべきところは ここだったんだ、とわかりましたニコニコ


物忌様に選ばれたらもう運命として受けいれるしかなかったでしょう。

ここで一生を終えた 女性たち。

子供の頃から死ぬまでここにいたのですね。

 

でも、この神社はとっても気持ちの良い場所でした❤️💓✨💚🍀

なので きっと

物忌様は 神職としてここで職務を全うし、神様と繋がり

幸せだったのではと感じました。❤️


たまたま途中で道を聞いた 近所の女性が わたしを駅まで送ってださろうとして 神社まで車で来てくださった。

そのかたに、道をきいたときに あなたはどうしていらしたの?と聞かれたので 神社が気になりきたと少しお話はしたのですが、予期せぬことで驚きました。

実はわたしは歩きすぎてとても疲れていたのです。

ありがたく🙏ご好意に甘えて車に乗せてもらいながら話を聞くと 

この跡宮でお百度詣りをしたという方でした。また、別の時に神社の敷地内の周りを100周 何日間もしたこともあるとかで、土地を靴で踏みつけてしまったから、最後にホウキで周りを全部はいたという話も聞きました。

不思議な方との出会いでした。どこかで縁があったのかもしれませんね。😊

 

鹿島神宮と 御祭神のタケミカヅチの謎 タケミカヅチは 一体誰なのか。

海の神 水の神 蛇神であったように思えてなりません。

強い武将などではなかった。そして

瀬織津姫との関係は。。?

 

今、色々と調べていますが、だんだんと点と点が繋がりつつあるような感じです✨

 

参考にさせていただいたブログ