太平洋戦争末期の1944年、東京の若い保母達が、空襲から園児を守ろうと、まだ学齢期に満たない子ども達を連れて、蓮田市高虫(旧平野村)の妙楽寺に集団疎開しました。

この史実は、当時全国で初めての“疎開保育園”として、久保つぎこ氏により書籍化(「君たちは忘れない 疎開保育園物語」)され、その後2019年、平松恵美子監督による映画「あの日のオルガン」として全国公開されました。

 

まだ20代前後の若い保母たち10名ほどが、親と離れて不安定な約50人もの子ども達の安定した生活を作ろうと、およそ1年もの間、食事・おふろ・トイレ・洗濯・寝かしつけなどに奔走し、懸命に子どもたちの命を守った実話として、多くの人々の感動を呼びました。

今もなお、全国各地で上映会が行われています。


この疎開保育園開設から79年目となる11月25日に、「映画『あの日のオルガン』を支える蓮田市民の会」が主催した「疎開保育園再会懇談会」が、疎開保育園ご当地である妙楽寺で開かれました。

 

下矢印左から、市民の会代表の島村みき子さん、元園児の方たちとそのご家族のみなさん

 

懇談会には、当時の園児3人とそのご家族をはじめ、集団疎開を支援した地域住民のお子さんやお孫さんの方々が参加し、当時の思い出などを語り合いました。

当日、新聞各社の記者の方々も訪れ、記事となりましたので、以下その中から一部引用してご紹介させていただきます下差し

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イチョウ墨田区から、兄の正夫さんと疎開した若狭(旧姓:久保庭)輝夫さん(82)は、1945年3月の東京大空襲で家族全員を失いました。戦後、正夫さんとは別の家に引き取られ、輝夫さんは現在、埼玉県内に住んでいます。

今年8月に正夫さんが他界し、正夫さんについて調べていたところ、「自分と兄とが妙楽寺に疎開していたことを初めて知った」といいます。
若狭さんは「当時は幼すぎて、何が起きているのかわかっていなかった。疎開保育だったと知ったのは、この年になってから」「B29の飛ぶ音が腹の底に響くのを今もよく覚えている」と話しました。

 

イチョウ千葉県に住む小倉みどりさん(85)は、疎開保育園から蓮田市立平野小学校へ入学しました。「B29が飛んで来たら、レンゲ畑に隠れるようにと言われたことを覚えている」「おねしょをした時に先生が、みんながわからないようにそっと干してあげるね、と言ってくれたことは、私が保育士になった原点のできごと」と語りました。


イチョウ映画の中で、大原櫻子さんが演じる保母のみっちゃん先生から「けんちゃんの家族が、空襲でみんな死んじゃったの」と涙ながらに告げられるエピソードとして語られた「けんちゃん」こと、田辺健之さん(83)は、「蓮田のみなさんに助けてもらった。本当にありがとう」と語りました。

 

イチョウ正夫さんの妻みつ子さん(79)は、「夫が生きていたら、きっと喜んだと思う」と話し、その娘さんも涙ぐみながら思いを語りました。

 

下矢印79年前、保母と子どもたちの写真(妙楽寺/疎開保育園の看板前にて)


前列右端の子が小倉みどりさん、右から3番目の子が久保庭正夫さん、後列左端の抱っこされている子が若狭(久保庭)輝夫さん

 

「広報はすだ」でも、疎開保育園が特集されたことがあり、↑の写真は見覚えのある方も多いかと思います。

 

イチョウ妙楽寺の現在の住職である小島久昌さんは「本堂を貸した祖父の英断。檀家さんへの信用・信頼があったからこそ」と、園児たちの生活を支えた地域の方々に敬意を示されました。

 

イチョウ地元住民の方からは「畑で作った野菜を園に届けたり、風呂を提供したりした」というエピソードが紹介されました。

 

イチョウ映画監督の平松恵美子さんは、「普通は、映画は公開したら終わり。こんな風に、この映画を通じて、いかに平和やいのちがかけがえのないものかということを継承していってほしい」と語りました。

下矢印平松監督のお話の様子


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映画が公開された2019年は、まだロシアとウクライナの紛争も、ハマスとイスラエルの紛争もありませんでした。

 

今になってあらためて、映画「あの日のオルガン」を通して、平和といのちへの思いをつなぐ人と人とのつながりは大事だなということを感じましたし、もう二度と、子ども達が親とひき離されるような疎開保育園が開かれないよう、私たちも平和への努力を続けていかなくてはと思いました。

 

食料も物資も困窮していた当時、いろいろ複雑な思いもあったとは思いますが、どうであれ疎開してきた子ども達を受け入れた蓮田市住民の方々。

この経験や史実をいかして、蓮田ならではの平和への取り組みを行なったり、地元の子ども達に「こんなことが蓮田であったんだよ」ということを伝えられるような取り組みができればいいなぁと思っています照れ

 

また映画の中で、戸田恵梨香さんが演じる楓先生が「私たちがやってきたこの疎開保育園は、正しかったんだろうか。。幼子を親からひき離して、、、」と泣き出すシーンがありますが、集まった元園児の方々やそのご家族を見て、「間違ってなかったですよ!!!!」と言ってあげたいと思いました。


なお余談ではありますが、今回私も市民の会メンバーとして、音響設備の設置や、童謡をみなさんで歌うコーナーでのアコーディオン伴奏を担当しましたカラオケ 下矢印

歌ったのは、映画の中でも歌われていた“この道”と“どんぐりころころ”です。

少しでも、79年前の童心に返って歌っていただけていたら嬉しいのですが。。。

(個人的には、たくさん間違えてしまいあせる反省しきりですお願いお願いお願い

今度はできればオルガンで弾けたら。。。みなさんに喜んでいただけるでしょうかウインク