ドッペルゲンガー 演劇的上演「白鳥の歌」 | 今夜、ホールの片隅で

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東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

先週NHKBSで放送されたプレミアムシアターは、「トゥーランドット」と「ドッペルゲンガー」、共にクラウス・グート演出&ヨナス・カウフマン出演のダブル・ビルだった。前者はウィーン国立歌劇場のプロダクションで、中国趣味を排してカフカ的不条理空間に徹した新演出が見もの。アスミク・グリゴリアン(題名役)とクリスティーナ・ムヒタリヤン(リュー)の強力女声陣も聴き応えがあったが、より忘れがたい印象を残したのは、「演劇的上演 白鳥の歌」と銘打たれた後者の「ドッペルゲンガー」だった(※以下ネタバレ注意)。

 

2023年9月にニューヨークのウェイド・トンプソン・ドリル・ホールという会場で行われた公演。この会場、巨大な長方形のスペースの長辺の両サイドに観客席が設けられ、体育館か何かかと思ったら、ネット情報によれば、元は軍事関係の施設だったらしい(そういえば航空機の格納庫のようにも見える)。

 

その長方形の舞台全体に、鉄パイプの簡素なベッドが数十台、整然と並べられている。中央に1台だけ、ベッドではなくグランドピアノが置かれている(演奏はヘルムート・ドイッチュ)。ベッドには同じ服装をした20人ほどの男たちが横になっていて(空いているベッドもある)、悪夢にうなされたように飛び起きて歌い始めた1人がカウフマンなのだった。その状況はまさに、第1曲「兵士の予感」の歌い始めの一節「深い静寂の中、私の周りには戦友たちが横たわる」とシンクロする。野戦病院だろうか、6人のナースがベッドの間を足早に淡々と巡回している。

 

歌曲集「白鳥の歌」を使用した音楽は、歌の部分は概ねシューベルトの原曲通りに演奏されるのだが、ピアノの前奏と後奏に様々なアレンジが施され(同じ音型を執拗にくり返したり、内部奏法があったり)、曲間には電子的な人工音も加わる。歌詞のほかに台詞は無く、カウフマン以外は全員黙役なのだが、叫んだり、呻いたり、歓声を上げたり、時にはベッドを棒で叩いたりもする。照明デザインも凝っていて、ベッドを含む床面全体に映し出される映像も、プロジェクションマッピングの一種だろう。

 

レルシュタープの詩による8曲(兵士の予感・愛のたより・遠い国で・春のあこがれ・セレナード・秋・わが宿・別れ)が歌われた後、ドイッチュのピアノ独奏でソナタ第21番の第2楽章が挿入される。そしてハイネの詩による6曲(彼女の絵姿・アトラス・漁師の娘・海辺で・都会・影法師~ドッペルゲンガー~)へと続き、舞台はいよいよ凄みを増す。

 

「都会」では長方形の会場の短辺中央の扉が開き、外には人や車が行き交う本物の街が見える。歌いながら外へ姿を消すカウフマン。束の間、時計の秒針の音。男が外から戻ってくる(逆光で顔は見えない)。その後ろに、同じ姿のもう1人の男が…! 後ろの男が前の男に近寄り、顔を覗き込む。やがて「影法師」を歌い始める。会場の特性を活かし、最小限の演出で最大の効果を引き出した見事な場面というほかない。

 

思い出すのは、2021年に同じくNHKBSで視聴したチューリヒ・バレエ「冬の旅」である。あの舞台同様「ドッペルゲンガー」もまた、作曲家のダークサイドを露わにしてみせた、ゴシック的、ナイトメア的シューベルトの系譜に連なる公演と言えよう。辻音楽師と影法師、切り札はどちらも死神に似ている。