千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館を訪れるのはいつ以来だろう? 開催中のジョゼフ・コーネル展が観たくて随分久しぶりに総武快速の下り線で遠出したが、思えば前回この美術館に来たのもジョゼフ・コーネル展の時だった。どうやらここには国内でも有数のジョゼフ・コーネル作品が所蔵されているようだが、自分にとってはジョゼフ・コーネル展の時しか訪れることのない、ちょっと浮世離れした美術館である。
ジョゼフ・コーネルと言えば「箱」作品が有名だが、今回の企画展では副題に「コラージュ&モンタージュ」とある通り、箱以外にも平面コラージュ作品や、映像作品、また日記や書簡などの資料展示もあり、作家の創作活動を多面的に紹介している。平面コラージュから出発したコーネルは、やがて立体コラージュと言うべき「箱」や、時間コラージュと言うべき映像作品も手掛けるようになるが、それらは全て広義のコラージュ&モンタージュに属するものであり、イマジネーションの根っこは同一のものと見ることが可能だろう。
そうした創作活動の変遷を理解した上で、作品としての魅力を最も感じるのは、やはり圧倒的に「箱」である。コラージュと言えば、岡上淑子の諸作品を観たばかりだが、同じくマックス・エルンストの影響下から出発したコーネルの平面コラージュは美しくまとまり過ぎていて、岡上作品ほどの新鮮さは無い。また映像作品にしても、記憶にあるシュルレアリストたちのショート・フィルムのイメージの豊饒さに比べれば、いささか取り留めのない記録の集積に留まっているように思える。結局のところ、この作家のオリジナリティの最良の部分は、あの小さな箱たちの中でこそ花開いたのだろう。
会場には、いくつもの「箱」が点々と展示された一室がある。そこには、かつて観たものと同じ箱も多く含まれているはずだが、久々に再会した箱たちの印象は、思っていたよりもずっと静かで大人しい。記憶の中の箱たちは、もっと大胆で鮮烈な存在感を主張していたはずだが…。自分の感受性が劣化している可能性を大いに感じつつも、保存された記憶さえコラージュ素材となって、見えない箱の中で経年変化で褪色してしまったような、不思議な喪失感に囚われた。
