■東京交響楽団 第660回定期演奏会(5/26サントリーホール)
[指揮]飯森範親
[ソプラノ]角田祐子*
[バリトン]クリスティアン・ミードル*
ヘンツェ/交響的侵略~マラトンの墓の上で~
ウド・ツィンマーマン/歌劇「白いバラ」(演奏会形式・日本初演)*
飯森さんの東響定期、今シーズンはカンチェリ、ポポーフ路線の超硬派なプログラム。前半のヘンツェは、奏者7人を要する多彩な打楽器陣を含む、4管編成の大オーケストラによる15分ほどの作品。1957年の演劇「ダンスのマラソン」のための音楽を2001年に改作したもので、「昼夜を問わず踊り続けなければならない過酷なダンス大会の様子を描いた」というその旧作に、サブタイトルは由来している。
打楽器の不穏なざわめきに始まり、ほぼ全編に渡ってうねるような音響エネルギーが休むことなく押し寄せ続ける。しかし各セクションが渾然一体となるようなトゥッティではなく、金管の咆哮が、木管の愁嘆が、そして妖艶な弦が、ハープやピアノに至るまで、各パートが溶け合うことなく聴き分けられるのは、精妙に織り上げられたオーケストレーションゆえだろう。大編成を聴く醍醐味を味わわせてくれる一曲。
後半は、これが日本初演となるウド・ツィンマーマンの歌劇「白いバラ」を演奏会形式で。「2名の独唱者と15の器楽アンサンブルのための」と副題にあるように、オリジナルの編成は15人というコンパクトなものだが、この日は指揮者の希望により、弦楽五重奏が弦楽合奏[8-8-6-4-3]に増員された。それでも総勢43人という編成は、前半の大所帯とは鮮やかなコントラストを成し、ステージ上のセッティング作業は休憩時間が終わるまで続いた。演奏前には飯森さんによるプレトークがあり、作品の聴きどころを実際にピアノで弾きながら解説してくれたが、これは非常に有効だった。
タイトルの「白いバラ」とは、第二次大戦中にミュンヘン大学の学生が結成した反ナチ運動のグループ名であり、その中心的存在だったハンスとゾフィーのショル兄妹を、2人の独唱者が演じる。60分ほどの全体は全16曲で構成され、テキストには明確なストーリー性は無く、具体的な場所や時代背景さえ特定されていない。ただしこの日の公演では、反逆罪により死刑判決を下されたハンスとゾフィーが、その日の夕刻に刑が執行されるまでの数時間に、離れ離れの独房でテレパシーで話しているような設定でやります…と飯森さんは語っていた。
曲は冒頭、バリトンの短い語りに続いて、鍛冶屋が金槌を打ち込むような金属的で刺々しいリズムで幕を開ける。それ以降もところどころで暴力的なトゥッティが挟まれるものの、全曲の大半は弱音に徹した各パートの静謐な響きに支配されており、しばしば単独の、もしくは2つか3つの限定されたパートの組み合わせで、息を潜めるような音楽がひっそりと展開されてゆく。ハープのソロにソプラノがヴォカリーズで寄り添う場面の慄然とするような美しさ! 指揮者、2名の歌手を含めた舞台上の46人が生み出す絶対的な緊張感に、唾を飲み込むのも憚られるほどだ。
そしてこれを聴いていると、「音楽」というものが言葉では表現できない感情を描き得る、人間の本能に直接訴えかける芸術であることが実感される。曲中では2人の登場人物によって絶望、恐怖、憤怒、諦観、孤独、郷愁、愛惜、畏怖…といった様々な感情が歌われ、語られるが、それらの言葉のどれもが、彼らの心情を正確に反映しているとは言い切れない。むしろ今耳にしている、この音楽の響きによって喚起される名状しがたい気持ちこそが、何よりもリアルで、独房の中の彼らにダイレクトにつながるものであるような気がする。
最後の第16曲では、ヘンデルの歌劇「リナルド」のアリア「私を泣かせてください」を思わせるフレーズが現れ、それがくり返されながらクレッシェンドしていくのだが、これはショスタコの「レニングラード」第1楽章の中間部と同様の趣向をより簡潔に純化させたもので、増員された弦楽合奏が効果を発揮していた。「絞首刑で死ぬの? それともギロチン?」というゾフィーの言葉の直後、舞台は暗転し、暗闇と沈黙が訪れて幕切れとなった。
東響の演奏も、2人の歌唱も素晴らしかったが、この水際立ったプロダクションの立役者は、何と言っても飯森さんだろう。今回は演奏会形式ということだったが、これ以上どんな演出を付け足す必要があるというのだろう? シンプルな舞台が、深く濃い余韻を残してくれた。そしてこの余韻は、カンチェリ「ステュクス」の時とちょっと似ていると思った。 飯森さんが追求する音楽の方向性が、少しだけ理解できた気がした。
余談だが、東響の宣伝美術と言えば、ヤナーチェクのオペラ・シリーズの頃から、イラストを使用するのがひとつの特徴だった。今シーズンはその伝統が復活しており、今回の「白いバラ」のチラシにも印象的なイラストが使われている。私も含め多くの聴衆にとっては、このイメージと共に記憶された日本初演だったに違いない。
