山田和樹&日フィル 感涙の「系図」とマーラー4番 | 今夜、ホールの片隅で

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東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

■山田和樹 マーラー・ツィクルス第4回(1/30オーチャードホール)


[指揮]山田和樹

[語り]上白石萌歌*

[ソプラノ]小林沙羅**

[管弦楽]日本フィルハーモニー交響楽団


武満 徹/系図―若い人たちのための音楽詩―*

マーラー/交響曲第4番 ト長調**


マーラーの交響曲を番号順に1年3曲ずつ、3年がかりで全曲演奏するツィクルスの第2期。「深化」と題された中期交響曲の幕開けである。


毎回カップリングされる武満作品、今回は待望の「系図」が登場。実は武満さんの作品の中で、個人的に最も好きなのがこの曲。初演後の数年間は何度か実演で聴く機会があったものの、その後ぱったりとプログラムに登場しなくなってしまい、どこかやってくれないかと切望していたところ、今年は仙台フィル、日フィル、N響が立て続けに採り上げるというまさかの僥倖が訪れた。この日の前夜に行われた仙台フィルの公演にはさすがに行けなかったが、そんな訳で今回のツィクルスの中でもこの日を最も楽しみにしていたと言ってもいい。


山田さんがプレトークでなかなか決まらなかったと明かしていた「語り」は上白石萌歌(もか)さん。2000年2月生まれというから現在15歳で、「十代半ばの少女を」という作曲家の指定に合っている。指揮台の向かって左側に立ち(右側にアコーディオン独奏)、全編暗唱で通した。マイク越しの声が、このホールでは天井近くのスピーカーから聞こえてくるので、始めはもっと生の声が届けばいいのにと感じてしまったが、すぐに作品世界に引き込まれた。日本語初演時の遠野凪子さんがどうしても基準になるが、どこか舌足らずな印象のあった遠野さんに比べ、上白石さんはよりしなやかで意志的な語りである。


しかし当方の思い入れが強過ぎるのか、歳を取ったせいなのか、もう音になっただけで胸がいっぱいになってしまって、この曲、ほとんど冷静に聴けません。普段音楽を聴いていて、感動で目頭が熱くなることはあっても、実際に涙が零れることはまず無いのだけれど、今回は駄目でした。特に最後の「とおく」がやばい。何と美しい境地だろうとしか言いようがない。ただこれは純粋に音楽に泣かされたというよりは、やはり「言葉」と、それに伴う「意味」の力が大きいんだろうと思う。武満さんはついにオペラを書かなかったけれど、生涯の最期にその世界観を凝縮したような、小さな「モノオペラ」を遺してくれたのだ。


後半はマーラーの第4番。事前の印象では、マーラーの交響曲中でも最も山田さんの個性に合っているように感じていたのだが(実際、演奏経験も多く、振るのはこれが4回目とか)、昨年聴いた1~3番の充実度に比べると、必ずしもそうではないのかな…という感想。全体的に遅めのテンポで、思慮深く淡々と進めていくのだが、この曲特有の快活さや遊び心があまり感じられず、どうも大人しい印象なのだ。ひときわじっくりと丁寧に描かれた第3楽章は、これ以上ないぐらい美しく透明な音に満たされていたが、ひたすら無色透明の真水のような世界。独唱が加わる最終楽章でようやく、音楽が生気を帯びた気がした。


ただこの曲に関しては、ここ2年ほどで聴いた広上&N響、ハーディング&新日フィルの演奏でも似たようなもの足りなさを感じており、原因はおそらく自分の聴き方にあると思う。なかなか「これは」という演奏に出会えない「鬼門」になりつつあるが、それではどういう演奏を自分はこの曲に求めているのか、いろいろと考えさせられた。