映画館で今話題の永遠の0を観てきました。
「いかに生きるかを考えさせられた」という
映画を観た人のレビューを見たのがきっかけです。
自分にとって大事なことだと感じました。
実際に考えさせられる内容です。
この映画はこれまで見てきた戦争映画とは
また異なる刺激と感動がありました。
日本の神風特攻隊(零戦)で死んでいった者を、
現代に生きるその孫達が、生き残った人達に直接会い、
当時を振り返りながら進めていくストーリーです。
戦争の醜さや恐ろしさもそうですが、それ以上に、
戦争に関わった人やその家族の背景を描いていて、
それぞれの想いや感情も鮮明に伝わってきました。
映画を見終わった今、生きている尊さを再認識しています。
当時の日本兵は、国の為に死を選ぶことが当たり前でした。
約70年前までは、死を覚悟して戦っていた時代だったのです。
大勢の若者達が日本の為に死んでいったのですね。
それも自ら志願して。。
僕達は、戦争で死んでいった者達の過去があって、
現代の平和な日本の中で生きることができるのです。
そのことを忘れてはならないと思いました。
もし現在も当時から戦争が終わらずに続いていたら、
僕は今の年齢まで生きられなかったかもしれません。
産まれることさえできなかった可能性だってありますね。
戦争当時に生きていても同じだったと思います。
死の覚悟をせざるを得ない状況ということです。
今の感覚じゃ考えられません。
でも当時は、それが当たり前でした。
死んでいった者達にしか本当の気持ちは分かりませんし、
死を覚悟することがどれほどのことかは想像できません。
戦時中だとしたら、周りの仲間達が次々に特攻を志願し、
そして死んでいく姿を見て、どう想い、何を感じるのか・・・
果たして、自分も後に続くように、死を覚悟できるだろうか?
それとも、周りから臆病者と言われても、生を選ぶだろうか?
常識や概念って、一体何だろうと改めて思いました。
生きるか死ぬかさえ、外側の常識や概念によって、
人生の選択を迫られてしまう時代があったのです。
戦時中であれば、選択する間もなく死んでいった者達は大勢います。
外側の常識や概念に一切影響を受けることなく、
生きていくって簡単なことじゃないとも思いました。
現在は生か死かは問われないにせよ、
何かしらの影響は受けているはずです。
自分がこの社会で生きていられるのは、
常識や概念にも支えられているからですね。
(人間関係や法律、政治、経済などの社会的な体制など)
人との関わりや社会の営みの中で生きている限り、
自分にとっては良くも悪くもそう言えます。
人里離れた山奥でひっそりと暮らす分には、
常識や概念に縛られることなく何からも自由ですが、
実際はそのように暮らすのは大変だと思います。
社会的な生活の中で生きていくのであれば、
一般的な常識や概念を踏まえながら、
いかに生きるかを考える必要があります。
それに縛られながら生きるという意味ではありません。
現在は幸いにも一人一人の命が尊重されています。
戦争で死を覚悟する必要もありません。
社会革命を起こさなくても自由な選択ができるのです。
何を表現しようと、どこに行こうと、誰と会おうと、
自分がどうしたいかを可能な範囲で選択ができます。
それが許されている時代に生きられるのは幸いですね。
もし社会的な不都合を感じているのであれば、
外側のせいにしながら責任転換し続けるよりは、
先ずは自分を変える方が優先だと思っています。
現在の日本の平和と自由は、過去に戦死した
大勢の人が残してくれた贈り物でもあります。
そう思うと、戦死者を弔う気持ちと感謝で一杯です。
その上で、自分をいかに生きるかを考えていきたいです。