今回は、Y.Nさんからいただいたセッション後の感想を
ご紹介させていただきます。
ヒロ様
わたし得意の今だけ感覚かもしれませんが
風呂上りに感じた感覚を記載します
わたしは「在る」という感覚をずっとみつめていて
その「在る」ということを、なんとなく「あるもの」と
とらえていましたが、今はなんとなく
「何も無い」わたしは何も無い
というような感覚になりました。
全ての有は私から出ており、
思考も感情もわたしからできている創造であり
ほんとうのわたしは 無
なんにもない が ある
これが空なのだと感じました
やらなければも、おれはだめだ、も
怖いも、嬉しいもすべて 有
なんていうか、わたしの目の前にたくさんの画面があり
とくに目に入りやすい大きい画面が 恐れ 心配 などであり
そのほかにも無数の画面が存在していて
私はそれをすべて見ている何か
そのため、私は思考でもないし、感情でもない
でも、私が私だということは分かる何か
思考ではないのだけれど、言葉を自覚できる何か
言葉を扱える?何か
有ということは有限
無ということは無限
さまざまな感情や思考はすべて私ではない
「何もない」が怖いのも嬉しいのも 有
ただ、なにもない
なにもないが在る 存在している
あとはこの強烈な感情や思考の感度をどう扱っていくか
画面が眩しすぎる
いちいち刺激的すぎるのです
そのため、また画面に一体化してしまう
在り難い まさに ありがたいのですね
また、在りが難しい と自覚しているナニカ 空そのものですね
在るということを知っていなければ出ない一言ですね
ありがとうございます
Y.N
Y.Nさん、ご感想ありがとうございました。
在るを捉えられたようで素晴らしいですね。
なにもない無の無限性が、在るということでもあります。
顕れの有限ととらえているすべてのものは、
無(在る)という無限から起こってきています。
思考や感情や言葉もそこから起こってきます。
そして在るは、起こっていることに、
気づいている者(意識)でもあります。
その気づいている意識があるから、すべてに気づけますし、
自分(存在)が自分(存在)であることを自覚できますね。
自ら顕しているすべてを、自ら観察している意識です。
在ることはありがたいことですね。
どうもありがとうございました。